石鎚神社
石鎚神社
所在地 愛媛県西条市西田甲797番地
主祭神 石鎚毘古命(石土毘古命・石鎚大神)
社格等 県社・別表神社
創建 奈良時代
本殿の様式 権現造
例祭 4月5日・10月5日
主な神事 お山開き(7月1日〜10日)
石鎚神社は日本七霊山の一つ西日本最高峰・霊峰石鎚山を神体山(神しずまります山)とする御社にて、社・口之宮、中宮・成就社、頂上社、土小屋遙拝殿と、4社をあわせて石鎚神社と称し、愛媛県西条市に鎮座し、現在も、永くの信仰をものがたるかのように、神仏混淆の色が、濃く残っています。
旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。
石鎚山総本宮と称し、宗教法人・石鎚本教の総本宮でもあります。
御神紋は丸に石の字。
祭神
石鎚毘古命(古事記では石土毘古。石鎚大神とも称します)祭神は一柱ですが、智仁勇の三つの御神徳を表すために三体の御神像を祀っています。
三体の御神像奉斎及び御神徳
御祭神は、石鎚毘古命御一神ですが、次の三つの御神徳(神様のお蔭)を表すため、三体の御神像をお祀りしています。
*玉持(たまもち)の御神像
(和魂・にぎみたま)仁の御神徳を表します。家内安全、病気平癒を守護されます。
*鏡持(かがみもち)の御神像
(奇魂・くしみたま)智の御神徳を表します。農業、工業、商業、漁業の繁栄、学業の成就を守護されます。
*剣持(つるぎもち)の御神像
(荒魂・あらみたま)勇の御神徳を表します。勇気、忍耐をすすめ、悪事を除き、危機を守護されます。
由緒
石鎚山は古くから日本七霊山の一つとして名高く、日本霊異記には「石鎚山の名は石槌の神が坐すによる」とあります。
石鎚信仰の母体、西日本最高峰・霊峰石鎚山(1982メートル)は、一千三百年余の昔、役の行者(役小角)によって、開山されました。
その後、寂仙菩薩が石鎚蔵王大権現と称えて深く信仰、山路を開き、登拝者を導き、常住社(今の中之宮、成就社)を創立しました。
その後、上仙大師、光定大師等の高僧が、四国八十八ヶ所第六十番札所の横峰寺、同じく第六十四番札所の前神寺を創立、石鎚神社の別当寺となって、神仏習合・修験の道場として繁栄して幕末、明治維新を迎えました。
かつて、弘法大師も石鎚山で修行したと伝えられ、桓武天皇、文徳天皇、武将としては、源頼朝、河野 家一族、豊臣家一族の厚い信仰があり、慶長十五年、豊臣秀頼公により、中之宮成就社が御造営されましたが、明治二十二年の火災により焼失しました。(現在の成就社は、昭和五十五年十一月十三日、災禍にみまわれ焼失、昭和五十七年六月二十日に復興、御造営されました。)
桓武天皇の勅願によって建立された前神寺には、文徳帝・高倉帝・崇徳帝・後醍醐帝など歴代天皇が納めた仏像や経巻が伝わっています。
また興国3年(1342年)には後村上天皇が朝敵退散を祈願するために勅使を遣わしています。
また、伊予の領主となった福島正則も参籠し、歴代西条藩主・小松藩主も厚く遇し、寛文年間よりは、西条藩主、小松藩主の信仰、特に厚く、社殿の修理、神器、神宝の奉納が数々ありました。
明治になると、明治天皇の大命により、神仏混淆が禁止され、前神寺と横峰寺は廃され、前神寺の境内は石鎚神社の本社となり、横峰寺は西の遙拝所とされ、純粋な神社と定められ、県社の社格に列せられていました。
その後、大東亜戦争の終了と共に、全国の神社は、神社本庁に包括される宗教法人となり石鎚神社は、従来の官国弊社と同格の別表神社という待遇を受けました。
なお、前神寺は明治12年、塔頭寺院の医王院と合併し、前上寺として復興しまし、同40年、旧称に復しました。
また、横峰寺は大峰寺として復興し、明治42年、旧称に復しました。
戦後は神社本庁に属して、別表神社に加列。同時に石鎚信仰の「神仏混淆」という特殊性等を生かすために、石鎚神社の傘下宗派として、宗教法人石鎚本教を創立しました。
これにより、神社のみでは発行できなかった教師免状や、教会設立の便宜を図ることができるようになり、国内はもとより、遠く海外まで信徒、崇敬者の輪が広がり、神社、本教一体となって発展し、現在に至っています。
年中行事
2月3日 星祭り
4月5日 春季例大祭(桜まつり)
7月1日〜10日 お山開き
10月5日 秋季例大祭(秋祭り)
石鎚神社最大の御祭儀であります『霊峰石鎚山お山開き大祭』が7月1日〜10日までの10日間『石鎚神社頂上社』を中心に『中宮成就社』・『土小屋遙拝殿』・『口之宮本社』の四社におきまして執り行われます。
この10日間は、お山の生命力が最も旺盛なる時、「霊気満々」の時といわれ、お山の霊気に触れて、石鎚大神様の御神徳を戴き、「たましいのリフレッシュ・たましいのよみがえり」ができるといわれています。
頂上社の開いている期間は 5月1日〜11月3日迄です。 (お守りやお札を売っている授与所も同じです)
所在地 愛媛県西条市西田甲797番地
主祭神 石鎚毘古命(石土毘古命・石鎚大神)
社格等 県社・別表神社
創建 奈良時代
本殿の様式 権現造
例祭 4月5日・10月5日
主な神事 お山開き(7月1日〜10日)
石鎚神社は日本七霊山の一つ西日本最高峰・霊峰石鎚山を神体山(神しずまります山)とする御社にて、社・口之宮、中宮・成就社、頂上社、土小屋遙拝殿と、4社をあわせて石鎚神社と称し、愛媛県西条市に鎮座し、現在も、永くの信仰をものがたるかのように、神仏混淆の色が、濃く残っています。
旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。
石鎚山総本宮と称し、宗教法人・石鎚本教の総本宮でもあります。
御神紋は丸に石の字。
祭神
石鎚毘古命(古事記では石土毘古。石鎚大神とも称します)祭神は一柱ですが、智仁勇の三つの御神徳を表すために三体の御神像を祀っています。
三体の御神像奉斎及び御神徳
御祭神は、石鎚毘古命御一神ですが、次の三つの御神徳(神様のお蔭)を表すため、三体の御神像をお祀りしています。
*玉持(たまもち)の御神像
(和魂・にぎみたま)仁の御神徳を表します。家内安全、病気平癒を守護されます。
*鏡持(かがみもち)の御神像
(奇魂・くしみたま)智の御神徳を表します。農業、工業、商業、漁業の繁栄、学業の成就を守護されます。
*剣持(つるぎもち)の御神像
(荒魂・あらみたま)勇の御神徳を表します。勇気、忍耐をすすめ、悪事を除き、危機を守護されます。
由緒
石鎚山は古くから日本七霊山の一つとして名高く、日本霊異記には「石鎚山の名は石槌の神が坐すによる」とあります。
石鎚信仰の母体、西日本最高峰・霊峰石鎚山(1982メートル)は、一千三百年余の昔、役の行者(役小角)によって、開山されました。
その後、寂仙菩薩が石鎚蔵王大権現と称えて深く信仰、山路を開き、登拝者を導き、常住社(今の中之宮、成就社)を創立しました。
その後、上仙大師、光定大師等の高僧が、四国八十八ヶ所第六十番札所の横峰寺、同じく第六十四番札所の前神寺を創立、石鎚神社の別当寺となって、神仏習合・修験の道場として繁栄して幕末、明治維新を迎えました。
かつて、弘法大師も石鎚山で修行したと伝えられ、桓武天皇、文徳天皇、武将としては、源頼朝、河野 家一族、豊臣家一族の厚い信仰があり、慶長十五年、豊臣秀頼公により、中之宮成就社が御造営されましたが、明治二十二年の火災により焼失しました。(現在の成就社は、昭和五十五年十一月十三日、災禍にみまわれ焼失、昭和五十七年六月二十日に復興、御造営されました。)
桓武天皇の勅願によって建立された前神寺には、文徳帝・高倉帝・崇徳帝・後醍醐帝など歴代天皇が納めた仏像や経巻が伝わっています。
また興国3年(1342年)には後村上天皇が朝敵退散を祈願するために勅使を遣わしています。
また、伊予の領主となった福島正則も参籠し、歴代西条藩主・小松藩主も厚く遇し、寛文年間よりは、西条藩主、小松藩主の信仰、特に厚く、社殿の修理、神器、神宝の奉納が数々ありました。
明治になると、明治天皇の大命により、神仏混淆が禁止され、前神寺と横峰寺は廃され、前神寺の境内は石鎚神社の本社となり、横峰寺は西の遙拝所とされ、純粋な神社と定められ、県社の社格に列せられていました。
その後、大東亜戦争の終了と共に、全国の神社は、神社本庁に包括される宗教法人となり石鎚神社は、従来の官国弊社と同格の別表神社という待遇を受けました。
なお、前神寺は明治12年、塔頭寺院の医王院と合併し、前上寺として復興しまし、同40年、旧称に復しました。
また、横峰寺は大峰寺として復興し、明治42年、旧称に復しました。
戦後は神社本庁に属して、別表神社に加列。同時に石鎚信仰の「神仏混淆」という特殊性等を生かすために、石鎚神社の傘下宗派として、宗教法人石鎚本教を創立しました。
これにより、神社のみでは発行できなかった教師免状や、教会設立の便宜を図ることができるようになり、国内はもとより、遠く海外まで信徒、崇敬者の輪が広がり、神社、本教一体となって発展し、現在に至っています。
年中行事
2月3日 星祭り
4月5日 春季例大祭(桜まつり)
7月1日〜10日 お山開き
10月5日 秋季例大祭(秋祭り)
石鎚神社最大の御祭儀であります『霊峰石鎚山お山開き大祭』が7月1日〜10日までの10日間『石鎚神社頂上社』を中心に『中宮成就社』・『土小屋遙拝殿』・『口之宮本社』の四社におきまして執り行われます。
この10日間は、お山の生命力が最も旺盛なる時、「霊気満々」の時といわれ、お山の霊気に触れて、石鎚大神様の御神徳を戴き、「たましいのリフレッシュ・たましいのよみがえり」ができるといわれています。
頂上社の開いている期間は 5月1日〜11月3日迄です。 (お守りやお札を売っている授与所も同じです)
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体
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