坐摩神社
坐摩神社
所在地 大阪府大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺3号
位置 北緯34度40分51秒 東経135度29分55秒
主祭神 生井神 福井神 綱長井神 波比岐神 阿須波神
社格等 式内社(大)・官幣中社・別表神社
創建 神功皇后の御代
例祭 4月22日(花祭)
主な神事 懸鳥祭(12月2日)
坐摩神社(いかすりじんじゃ)は、大阪府大阪市中央区にある神社。正式な読み方は「いかすりじんじゃ」ですが、一般には「ざまじんじゃ」と呼ばれることが多いです。式内社、旧社格は官幣中社。近世以降、摂津国一宮を称しています。
大阪市の中心部、大阪市営地下鉄本町駅の南にある古い神社です。東本願寺難波別院(南御堂)の後ろ、阪神高速との間にあります。境内は東向きで、入口では大小3つの鳥居が横に組み合わさった珍しい「三鳥居」が迎えます。
住居守護の神、旅行安全の神、安産の神として信仰され、大阪・船場の守護神的存在です。社紋は白鷺。最終の神階は従五位下。
祭神
祭神の五柱を総称して、「坐摩神」と称しています。
生井神(いくゐのかみ)…井水の神(生命力のある井戸水の神)
福井神(さくゐのかみ)…井水の神(幸福と繁栄の井戸水の神)
綱長井神(つながゐのかみ)…井水の神(「釣瓶を吊す綱の長く」ともいわれ、深く清らかな井戸水の神)
波比祇神(はひきのかみ)…竃神(屋敷神。庭の神)
阿須波神(はすはのかみ)…竃神(足場・足下の神。足の神であり旅の神)
祭神の五柱の神は、『古語拾遺』等によると神武天皇が高皇産霊神・天照大神の神勅を受けて宮中に祀ったのが起源とされ、神祇官西院で坐摩巫(いかすりのみかんなぎ)によって祀られていました。
『延喜式』によれば、坐摩巫には都下国造(つげのくにのみやつこ)の7歳以上の童女を充てるとされ、西から来る穢れを祓う儀式を行うといわれています。なお、都下とはこの神社が最初にあった淀川河口の地で、摂津国の菟餓野(とがの、都下野とも書きます。現在の上町台地一帯)を指すと見られ、世襲宮司の渡辺氏はこの都下国造の末裔でもあり、滝口武者の嵯峨源氏の流れを汲むともいわれています。
「いかすり(ゐかすり)」の語源には諸説あるが、坐摩神社では、「居住地を守ること」という意味の「居所知」(ゐかしり)の転と説明しています。
歴史
神功皇后の創建
この神社の始まりは、神功皇后が三韓征伐より帰還したとき、淀川河口の地に坐摩神を祀ったことだといいます。今でも旧社地であった坐摩神社行宮には「神功皇后の鎮座石」と言われる巨石が祀られています。延喜式神名帳では摂津国西成郡唯一の大社に列し、住吉大社と同じく摂津国一宮を称しています。『万葉集』の中には、難波津から西国へ向かう防人が旅の安全を坐摩社に祈る歌があります。
渡辺津の守護神
創建以来のかつての社地は、新羅江・渡辺津・窪津といわれ栄えた淀川河口の港町(天満橋から天神橋にかけての間の東南、現在の中央区石町)でした。平安時代後期には源融にはじまる嵯峨源氏の源綱(渡辺綱)が渡辺津に住んでこの神社を掌り渡辺を名字とし、渡辺氏を起こしました。渡辺綱の子孫は渡辺党と呼ばれる武士団に発展し、港に立地することから水軍として日本全国に散らばり、瀬戸内海の水軍の棟梁となりました。
渡辺津は窪津ともよばれ、京からの船が着く熊野古道の基点でもありました。熊野三山への参詣道沿いに立っていた「熊野九十九王子」のうち、最初の「窪津王子」はこの坐摩神社行宮の場所にあったと思われます。
船場への移転
天正11年(1583年)、豊臣秀吉の大坂城築城に当たり現在地に遷座しました。現在の鎮座地の地名は「久太郎町四丁目渡辺」ですが、かつては「渡辺町」でした。地名も神社ごと移転させられたわけです。1988年(昭和63年)の地名変更の際に「渡辺町」は統合されて消える予定でしたが、渡辺姓の末裔で作る「全国渡辺会」が渡辺の名のルーツである渡辺町の消滅に対し反対運動を起こし、結局、丁目の次の番地の変わりに「渡辺」の名が残されることとなりました。
船場への遷座後は、大坂の中心ということもあり多くの物売りや見せ物が門前に集まりました。特に古着屋が多く、「坐摩の古手屋」として名高く「古手買」という落語の演目もあります。この神社の近くで後の「そごう」が古手屋として生まれ、船場が繊維の町として発展するきっかけになりました。また西横堀川沿いには陶器問屋が並び、そのきっかけもこの神社でした。
明治以降
1936年(昭和11年)に官幣中社に列せられ、新社殿が造営されました。1960年(昭和35年)、空襲で焼けた社殿を復興。今も陶器祭りが行われています。
施設
境内に大阪府神社庁があり、神社庁のビルが当社の社務所を兼ねています。
境内社:陶器神社、繊維神社(両者とも、この周辺の陶器問屋、繊維問屋の守護神)、相殿神社、天満神社、大國主神社、大江神社、稲荷神社
摂外社: 坐摩神社行宮(祭神:豐磐間戸神、奇磐間戸神)、大隅宮(いずれも大阪市中央区石町)
境外末社・浪速神社(祭神:坐摩大神 猿田彦大神、大阪市浪速区)
アクセス
大阪市営地下鉄本町駅15番出口より南側へすぐ(伊藤忠商事と南御堂の裏手)
所在地 大阪府大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺3号
位置 北緯34度40分51秒 東経135度29分55秒
主祭神 生井神 福井神 綱長井神 波比岐神 阿須波神
社格等 式内社(大)・官幣中社・別表神社
創建 神功皇后の御代
例祭 4月22日(花祭)
主な神事 懸鳥祭(12月2日)
坐摩神社(いかすりじんじゃ)は、大阪府大阪市中央区にある神社。正式な読み方は「いかすりじんじゃ」ですが、一般には「ざまじんじゃ」と呼ばれることが多いです。式内社、旧社格は官幣中社。近世以降、摂津国一宮を称しています。
大阪市の中心部、大阪市営地下鉄本町駅の南にある古い神社です。東本願寺難波別院(南御堂)の後ろ、阪神高速との間にあります。境内は東向きで、入口では大小3つの鳥居が横に組み合わさった珍しい「三鳥居」が迎えます。
住居守護の神、旅行安全の神、安産の神として信仰され、大阪・船場の守護神的存在です。社紋は白鷺。最終の神階は従五位下。
祭神
祭神の五柱を総称して、「坐摩神」と称しています。
生井神(いくゐのかみ)…井水の神(生命力のある井戸水の神)
福井神(さくゐのかみ)…井水の神(幸福と繁栄の井戸水の神)
綱長井神(つながゐのかみ)…井水の神(「釣瓶を吊す綱の長く」ともいわれ、深く清らかな井戸水の神)
波比祇神(はひきのかみ)…竃神(屋敷神。庭の神)
阿須波神(はすはのかみ)…竃神(足場・足下の神。足の神であり旅の神)
祭神の五柱の神は、『古語拾遺』等によると神武天皇が高皇産霊神・天照大神の神勅を受けて宮中に祀ったのが起源とされ、神祇官西院で坐摩巫(いかすりのみかんなぎ)によって祀られていました。
『延喜式』によれば、坐摩巫には都下国造(つげのくにのみやつこ)の7歳以上の童女を充てるとされ、西から来る穢れを祓う儀式を行うといわれています。なお、都下とはこの神社が最初にあった淀川河口の地で、摂津国の菟餓野(とがの、都下野とも書きます。現在の上町台地一帯)を指すと見られ、世襲宮司の渡辺氏はこの都下国造の末裔でもあり、滝口武者の嵯峨源氏の流れを汲むともいわれています。
「いかすり(ゐかすり)」の語源には諸説あるが、坐摩神社では、「居住地を守ること」という意味の「居所知」(ゐかしり)の転と説明しています。
歴史
神功皇后の創建
この神社の始まりは、神功皇后が三韓征伐より帰還したとき、淀川河口の地に坐摩神を祀ったことだといいます。今でも旧社地であった坐摩神社行宮には「神功皇后の鎮座石」と言われる巨石が祀られています。延喜式神名帳では摂津国西成郡唯一の大社に列し、住吉大社と同じく摂津国一宮を称しています。『万葉集』の中には、難波津から西国へ向かう防人が旅の安全を坐摩社に祈る歌があります。
渡辺津の守護神
創建以来のかつての社地は、新羅江・渡辺津・窪津といわれ栄えた淀川河口の港町(天満橋から天神橋にかけての間の東南、現在の中央区石町)でした。平安時代後期には源融にはじまる嵯峨源氏の源綱(渡辺綱)が渡辺津に住んでこの神社を掌り渡辺を名字とし、渡辺氏を起こしました。渡辺綱の子孫は渡辺党と呼ばれる武士団に発展し、港に立地することから水軍として日本全国に散らばり、瀬戸内海の水軍の棟梁となりました。
渡辺津は窪津ともよばれ、京からの船が着く熊野古道の基点でもありました。熊野三山への参詣道沿いに立っていた「熊野九十九王子」のうち、最初の「窪津王子」はこの坐摩神社行宮の場所にあったと思われます。
船場への移転
天正11年(1583年)、豊臣秀吉の大坂城築城に当たり現在地に遷座しました。現在の鎮座地の地名は「久太郎町四丁目渡辺」ですが、かつては「渡辺町」でした。地名も神社ごと移転させられたわけです。1988年(昭和63年)の地名変更の際に「渡辺町」は統合されて消える予定でしたが、渡辺姓の末裔で作る「全国渡辺会」が渡辺の名のルーツである渡辺町の消滅に対し反対運動を起こし、結局、丁目の次の番地の変わりに「渡辺」の名が残されることとなりました。
船場への遷座後は、大坂の中心ということもあり多くの物売りや見せ物が門前に集まりました。特に古着屋が多く、「坐摩の古手屋」として名高く「古手買」という落語の演目もあります。この神社の近くで後の「そごう」が古手屋として生まれ、船場が繊維の町として発展するきっかけになりました。また西横堀川沿いには陶器問屋が並び、そのきっかけもこの神社でした。
明治以降
1936年(昭和11年)に官幣中社に列せられ、新社殿が造営されました。1960年(昭和35年)、空襲で焼けた社殿を復興。今も陶器祭りが行われています。
施設
境内に大阪府神社庁があり、神社庁のビルが当社の社務所を兼ねています。
境内社:陶器神社、繊維神社(両者とも、この周辺の陶器問屋、繊維問屋の守護神)、相殿神社、天満神社、大國主神社、大江神社、稲荷神社
摂外社: 坐摩神社行宮(祭神:豐磐間戸神、奇磐間戸神)、大隅宮(いずれも大阪市中央区石町)
境外末社・浪速神社(祭神:坐摩大神 猿田彦大神、大阪市浪速区)
アクセス
大阪市営地下鉄本町駅15番出口より南側へすぐ(伊藤忠商事と南御堂の裏手)
テーマ : 心と身体のケアを大切に! - ジャンル : 心と身体
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