愛染明王

愛染明王

愛染明王(あいぜんみょうおう)は、仏教の信仰対象で、密教特有の尊格である明王の1つです。梵名ラーガ・ラージャ(Ragaraja)は、インドなどの仏典にその名は見られません。また、インドでの作例もない忿怒尊です。

愛染明王の像容と信仰
衆生が仏法を信じない原因の一つに「煩悩・愛欲により浮世のかりそめの楽に心惹かれている」ことがありますが、愛染明王は「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる」とする功徳を持っています。

愛染明王は一面六臂で他の明王と同じく忿怒相であり、頭にはどのような苦難にも挫折しない強さを象徴する獅子の冠をかぶり、叡知を収めた宝瓶の上に咲いた蓮の華の上に結跏趺坐で座るという、大変特徴ある姿をしています。

もともと愛を表現した神であるためその身色は真紅であり、後背に日輪を背負って表現されることが多くあります。 また天に向かって弓を引く容姿で描かれた姿(高野山に伝えられる「天弓愛染明王像」等)や、双頭など異形の容姿で描かれた絵図も現存します。

額に第三の目を持っていますが、俗にこれを女性器を表したものだという説があります。しかしその出典は不明で、真偽の程はわかりません。

愛染明王信仰はその名が示すとおり「恋愛・縁結び・家庭円満」などをつかさどる仏として古くから行われており、また「愛染=藍染」と解釈し、染物・織物職人の守護神としても信仰されています。さらに愛欲を否定しないことから、古くは遊女、現在では水商売の女性の信仰対象にもなっています。

日蓮系各派の本尊(曼荼羅)にも愛染明王が書かれていますが、空海によって伝えられた密教の仏であることから日蓮以来代々梵字で書かれています。


愛染明王の起源
愛染明王(あいぜんみょうおう)の起源は、学説的には不明ですが、愛染明王の真言のひとつ「フーン タッキ フーン ジャハ フーン」から推察するに、後期密教における十忿怒尊のタッキ・ラージャ(カーマ・ラージャ)と関連あると思われます。タッキは愛とか死を意味するとも言われますが、正確な語源は不明です。タッキをダーキニー(茶枳尼天)に求める説もあります。ダーキニーはしばしば魔女とされることから、タッキ・ラージャを邦訳するならば魔女の王といったところです。タッキはあるいは、失われた神格か俗語なのかもしれません。


弓をもつ愛欲の神カーマ(マーラ)
カーマとは修行中のシヴァ神に誘惑の矢を放って焼き殺された愛の神です。カーマ神は別名をマーラ(魔羅)ともいい、ブッダを誘惑しています。マーラには、ラーガーという娘もいます。


弓をもつ天界の最高神マーラ(他化自在天)
マーラは第六天に住む天界の最高神であり、他化自在天や第六天魔王ともいいます。(天界の最高神ですが、仏教では、その上にさらに多くの世界が存在します)他化自在天は弓をもった姿で描かれ、この世のすべてを自在に操り他人を楽しませ、自分も楽しむ神です。見方を変えれば誘惑者であり、また、楽しい気持ちにさせてくれる神です。大日如来はこの他化自在天の王宮で説法したとされます。愛染明王も、愛に対する見方を変え極めた仏といえます。


弓をもつ四大菩薩の金剛愛菩薩と愛染明王
金剛愛菩薩がもっとも尊格としては近く、愛の弓を引くおそらく、弓をもつ愛の神を取りいれ、密教の菩薩として解釈されたのが金剛愛菩薩であり、その憤怒尊が愛染明王ではないかと思われます。


愛染明王を安置する寺院
愛染明王は眷属として祀られることが多いですが、以下のように本尊としている例も存在します。

愛染明王を本尊とする寺院
愛染堂(勝鬘院)(大阪市天王寺区) - 聖徳太子建立の四天王寺四院の一つ。西国愛染霊場の一番札所)
金剛三昧院(和歌山県高野町) - 北条政子所縁の寺。源頼朝の念持佛である愛染明王を祀る。本尊は国の重要文化財)
舎那院(滋賀県長浜市) - 本尊は鎌倉時代の作で国の重要文化財。豊臣秀吉が奉献したとされる)
愛染院(東京都練馬区) - 本尊の愛染明王像は秘仏
光明山愛染院(東京都板橋区) - 地元の染物業者の信仰対象となっている)
その他、愛染明王を祀る代表的な寺院
西大寺(奈良県奈良市) - 重要文化財の愛染明王像は善円の作。京都御所の近衛公政所御殿を移築した愛染堂に安置
神護寺(京都市右京区) - 重要文化財の愛染明王像は仏師康円の作。
神童寺(京都府相楽郡山城町) - 天弓愛染像
奈良国立博物館像 - 重要文化財の愛染明王像は鎌倉時代の仏師快成の作。
覚園寺(鎌倉市二階堂) - 愛染堂の愛染明王坐像は鎌倉時代後期の作。 

開口神社

開口神社

所在地 大阪府堺市堺区甲斐町東2丁1-29
主祭神 塩土老翁神 素盞嗚神 生国魂神
社格等 式内社(小)・府社
例祭 9月12日に近い金〜日曜日(八朔祭)

開口神社(あぐちじんじゃ)は、堺市堺区にある神社です。地元では「大寺さん」とよばれています。式内社で、旧社格は府社。

毎年9月中旬にかけて行われる「八朔祭」には、堺最古の歴史を持つふとん太鼓がかつぎだされます。


祭神
塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)、素盞嗚神(すさのおのかみ)、生国魂神(いくたまのかみ)を祀っています。塩土老翁神は住吉大社の住吉三神を一つにして神徳を現した神とされ、「住吉の奥の院」と呼ばれています。


歴史
社伝には、神功皇后の三韓征伐の帰途、この地に塩土老翁神を祀るべしとの勅願により創建されたと伝えられています。延喜式神名帳に大鳥郡24座のうちの一社として記載されています。承平2年、神階が正五位上まで昇りました。天永4年、原村の素盞嗚命、木戸村の生国魂命を合祀し、「開口三村大明神」と呼ばれて堺の氏神として崇敬されました。

1873年(明治6年)に郷社に列し、1902年(明治35年)に府社に昇格しました。


祭事
元旦祭 - 1月1日
とんど祭 - 1月15日
節分祭 - 2月節分
初午祭 - 3月下旬午の日
さつき祭 - 5月5日
大祓・茅の輪くぐり・流鏑馬神事 - 6月30日
八朔祭(例祭) - 9月中旬
三宝荒神祭 - 11月28日


境内外社
豊竹稲荷神社
白髭神社
松風神社
金比羅神社
塞神社(庚申さん)
竈神社(荒神さん)
厳島神社(弁天さん)
舳松神社
北辰神社
楠本神社
三宅八幡神社
少彦名神社
恵比須神社(戎さん)
大国魂神社(大黒さん)
神明神社
豊受神社
熊野神社
薬師社
舟玉神社
菅原神社
産霊神社
兜神社


文化財
重要文化財「大寺縁起」
重要文化財「短刀銘吉光」


交通
阪堺電気軌道阪堺線 大小路駅
阪堺電気軌道阪堺線 宿院駅

周辺情報
山之口商店街
菅原神社

【九紫火星】

九紫火星

九紫火星(きゅうしかせい)は、後天定位盤において南に位置します。

後天定位盤
四 九 二
三 五 七
八 一 六

九紫が中宮の場合
八 四 六
七 九 二
三 五 一

属性
五行 - 火
八卦 - 離(り)
十干 - 丙、丁
十二支 - 午
季節 - 夏
方位 - 南
月 - 6月
時間 - 11時〜13時
数 - 二、七
色 - 赤色
味 - 苦味

象意
離合、神、高貴、華やかな美人、気の強い中年女性、結婚式、離婚、紫煙、印影、火事、蟹、陶磁器、高血圧、心臓疾患、脳病、見栄、虚飾、対立作用
文書、火、学問

他の星との関係(相性)
相生 - 二黒土星(火生土)、三碧木星(木生火)、四緑木星(木生火)、五黄土星(火生土)、八白土星(火生土)
相克 - 一白水星(水剋火)、六白金星(火剋金)、七赤金星(火剋金)
比和 - 九紫火星

九紫火星の(中宮になる)年
‥‥ - 1928年 - 1937年 - 1946年 - 1955年 - 1964年 - 1973年 - 1982年 - 1991年 - 2000年 -‥‥

【八白土星】

八白土星

後天定位盤
四 九 二
三 五 七
八 一 六

八白が中宮の場合
七 三 五
六 八 一
二 四 九

属性
五行 - 土
八卦 - 艮(ごん)
十干 - 戊、己
十二支 - 丑、寅
季節 - 冬の土用
方位 - 東北
月 - 1月、2月
時間 - 1時〜5時
数 - 五、十
色 - 黄色
味 - 甘味

象意
変化、貯まる、止まる、高い、相続、終止と再開、関節、不良行為少年、純粋、養子
強欲、山、歓迎

他の星との関係(相性)
相生 - 六白金星(土生金)、七赤金星(土生金)、九紫火星(火生土)
相克 - 一白水星(土剋水)、三碧木星(木剋土)、四緑木星(木剋土)
比和 - 二黒土星、五黄土星、八白土星

八白土星の(中宮になる)年
‥‥- 1947年 - 1956年 - 1965年 - 1974年 - 1983年 - 1992年 - 2001年 -‥‥

【七赤金星】

七赤金星

七赤金星(しちせききんせい)は、後天定位盤において西に位置します。

後天定位盤
四 九 二
三 五 七
八 一 六

七赤が中宮の場合
六 二 四
五 七 九
一 三 八

属性
五行 - 金
八卦 - 兌(だ)
十干 - 庚、辛
十二支 - 酉
季節 - 秋
方位 - 西
月 - 9月
時間 - 17時〜19時
数 - 四、九
色 - 白色
味 - 辛味

象意
喜び、弁舌、引退
恋愛、レジャー、財

他の星との関係(相性)
相生 - 一白水星(金生水)、二黒土星(土生金)、五黄土星(土生金)、八白土星(土生金)
相克 - 三碧木星(金剋木)、四緑木星(金剋木)、九紫火星(火剋金)
比和 - 六白金星、七赤金星

七赤金星の(中宮になる)年
‥‥- 1948年 - 1957年 - 1966年 - 1975年 - 1984年 - 1993年 - 2002年 -‥‥

【六白金星】

六白金星

六白金星(ろっぱくきんせい)は、後天定位盤において西北に位置します。

後天定位盤
四 九 二
三 五 七
八 一 六

六白が中宮の場合
五 一 三
四 六 八
九 二 七

属性
五行 - 金
八卦 - 乾(けん)
十干 - 庚、辛
十二支 - 戌、亥
季節 - 晩秋
方位 - 西北
月 - 10月、11月
時間 - 17時〜21時
数 - 四,九
色 - 白色
味 - 辛味

象意
動く、多忙、決断、都、人の集まる場所、目上、気品、天皇、肺、免疫、父、防衛
円、争い、規則、信仰

他の星との関係(相性)
相生 - 一白水星(金生水)、二黒土星(土生金)、五黄土星(土生金)、八白土星(土生金)
相克 - 三碧木星(金剋木)、四緑木星(金剋木)、九紫火星(火剋金)
比和 - 六白金星、七赤金星

六白金星の(中宮になる)年
‥‥ 1940年 - 1949年 - 1958年 - 1967年 - 1976年 - 1985年 - 1994年 - 2003年 - ‥‥

【五黄土星】

五黄土星

五黄土星 (ごおうどせい)は、後天定位盤において中央に位置し、九星の中で特別の意味をもちます。他の8つ星を支配する強力な星です。同じ土性をもつ二黒土星、八白土星と比べても強い土気をもっています。

後天定位盤
四 九 二
三 五 七
八 一 六

属性
五行 - 土
八卦 - なし(太極)
十干 - 戊、己
十二支 - なし
季節 - 土用(四季)
方位 - 中央
月 - なし
時間 - なし
数 - 五、十
色 - 黄色
味 - 甘味

象意
腐敗、暴力、墓、死、癌、旧病の再発、破壊、葬祭業、腫れ物、甘味、庇、寄生虫的態度、刺客、醜聞
廃棄物、天変地異

他の星との関係(相性)
相生 - 六白金星(土生金)、七赤金星(土生金)、九紫火星(火生土)
相克 - 一白水星(土剋水)、三碧木星(木剋土)、四緑木星(木剋土)
比和 - 二黒土星、五黄土星、八白土星

五黄土星の(中宮になる)年
‥‥- 1950年 - 1959年 - 1968年 - 1977年 - 1986年 - 1995年 - 2004年 -‥‥

五黄土星が中宮に回座する年(必ず寅年、巳年、申年、亥年ー四孟の年という)は、変革・変化・戦争・地震・災害・事件などが多いと言われます。
背景として四柱推命上用神が長生を得る年は事業の新設・勃興によく、またそのような事象が発生するからとされています。すなわち丙は寅に、庚は巳に、壬は申に、甲は亥に長生を得るからです。

【四緑木星】

四緑木星

四緑木星(しろくもくせい)は、後天定位盤において東南に位置します。

後天定位盤
四 九 二
三 五 七
八 一 六

四緑が中宮の場合
三 八 一
二 四 六
七 九 五

属性
五行 - 木
八卦 - 巽(そん)
十干 - 甲、乙
十二支 - 辰、巳
季節 - 春
方位 - 東南
月 - 4月、5月
時間 - 7時〜11時
数 - 三、八
色 - 緑色
味 - 酸味

象意
入る、長い、遠方
縁、交際、完成

他の星との関係(相性)
相生 - 一白水星(水生木)、九紫火星(木生火)
相克 - 二黒土星(木剋土)、五黄土星(木剋土)、六白金星(金剋木)、七赤金星(金剋木)、八白土星(木剋土)
比和 - 三碧木星、四緑木星

四緑木星の(中宮になる)年
‥‥- 1942年 - 1951年 - 1960年 - 1969年 - 1978年 - 1987年 - 1996年 - 2005年 - ‥‥

【三碧木星】

三碧木星

三碧木星 (さんぺきもくせい)は、後天定位盤において東に位置します。

後天定位盤
四 九 二
三 五 七
八 一 六

三碧が中宮の場合
二 七 九
一 三 五
六 八 四

属性
五行 - 木
八卦 - 震(しん)
十干 - 甲、乙
十二支 - 卯
季節 - 春
方位 - 東
月 - 3月
時間 - 5時〜7時
数 - 三、八
色 - 青色
味 - 酸味

象意
激しい、動く、繁栄、明朗
声、音楽、評判、電気、火事

他の星との関係(相性)
相生 - 一白水星(水生木)、九紫火星(木生火)
相克 - 二黒土星(木剋土)、五黄土星(木剋土)、六白金星(金剋木)、七赤金星(金剋木)、八白土星(木剋土)
比和 - 三碧木星、四緑木星

三碧木星の(中宮になる)年
‥‥- 1934年 - 1943年 - 1952年 - 1961年 - 1970年 - 1979年 - 1988年 - 1997年 - 2006年 ‥‥

【二黒土星】

二黒土星

後天定位盤
四 九 二
三 五 七
八 一 六

二黒が中宮の場合
一 六 八
九 二 四
五 七 三

属性
五行 - 土
八卦 - 坤(こん)
十干 - 戊、己
十二支 - 未、申
季節 - 土用
方位 - 南西
月 - 7月、8月
時間 - 13時〜17時
数 - 五、十
色 - 黄色
味 - 甘味

象意
勤勉、従順、謙遜、古い、遅延
大衆、庶民、土地、集合、四角

他の星との関係(相性)
相生 - 六白金星(土生金)、七赤金星(土生金)、九紫火星(火生土)
相克 - 一白水星(土剋水)、三碧木星(木剋土)、四緑木星(木剋土)
比和 - 二黒土星、五黄土星、八白土星

二黒土星の(中宮になる)年
‥‥- 1935年 - 1944年 - 1953年 - 1962年 - 1971年 - 1980年 - 1989年 - 1998年 - 2007年 - ‥‥

【一白水星】

一白水星

一白水星(いっぱくすいせい)は、後天定位盤において北に位置します。

後天定位盤
四 九 二
三 五 七
八 一 六

一白が中宮の場合
九 五 七
八 一 三
四 六 二

属性
五行 - 水
八卦 - 坎
十干 - 壬、癸
十二支 - 子
季節 - 冬
方位 - 北
月 - 12月
時間 - 23時〜1時
数 - 一、六
色 - 黒色
味 - 塩辛味

象意
始め、交わり、困難、悲しみ
穴、裏

他の星との関係(相性)
相生 - 三碧木星(水生木)、四緑木星(水生木)、六白金星(金生水)、七赤金星(金生水)
相克 - 二黒土星(土剋水)、五黄土星(土剋水)、八白土星(土剋水)、九紫火星(水剋火)
比和 - 一白水星

一白水星の(中宮になる)年
‥‥- 1945年 - 1954年 - 1963年 - 1972年 - 1981年 - 1990年 - 1999年 -‥‥

【九星】

九星

九星(きゅうせい)は、古代中国から伝わる民間信仰で、一白・二黒・三碧・四緑・五黄・六白・七赤・八白・九紫の9つをいいます。

起源
九星は、次の魔方陣が起源となっています。

四 九 二
三 五 七
八 一 六

縦・横・斜めのいずれの列についても3つの数字の和が15になるというものであり、3×3個の魔方陣は、対称形を除けばこの形しかありません。上の配置を後天定位盤といいます。これらの数字に白・黒・碧・緑・黄・赤・紫の7色と木・火・土・金・水の五行、十干・十二支、易の八卦を配当し、この数字が順次場所を変えた場合を考え、それに解釈を加えて「九星」が作られました。
伝説では、夏王朝を創始した禹が洛水を通りかかった時、川の中から飛び出た神亀の甲羅に描かれた模様からこの魔方陣を思いついたとされている。よってこの魔方陣を、洛水の書「洛書」(河図洛書)という。


九星の各星
日本の陰陽道では、下表のように木・火・土・金・水の五行や十干・十二支・八卦に割り当てて九星図を作成し、人の生年や方位に当てて運勢や方位の吉凶を占います。

一白水星 いっぱくすいせい 水 北 坎 白
二黒土星 じこくどせい 土 西南 坤 黒
三碧木星 さんぺきもくせい 木 東 震 青
四緑木星 しろくもくせい 木 東南 巽 緑
五黄土星 ごおうどせい 土 中央 黄色
六白金星 ろっぱくきんせい 金 西北 乾 白
七赤金星 しちせききんせい 金 西 兌 赤
八白土星 はっぱくどせい 土 東北 艮 白
九紫火星 きゅうしかせい 火 南 離 紫


年月日への配当
九星は年、月、日、時刻それぞれに割り当てられます。


年の九星
年の九星は、例えばある年が九紫だとすると、その翌年は八白というように一つずつ数字を減らしていき、一白の翌年はまた九紫になるというように変わっていきます。これを「陰遁」といいます。年の九星は立春をもって切り替わります。立春の前日の節分までは前年の九星となります。2008年(平成20年)の九星は一白水星です。

年と九星の対応
(T, S ,H はそれぞれ大正、昭和、平成)
一白水星 S02 S11 S20 S29 S38 S47 S56 H02 H11 -
二黒土星 T15 S10 S19 S28 S37 S46 S55 H01 H10 H19
三碧木星 T14 S09 S18 S27 S36 S45 S54 S63 H09 H18
四緑木星 T13 S08 S17 S26 S35 S44 S53 S62 H08 H17
五黄土星 T12 S07 S16 S25 S34 S43 S52 S61 H07 H16
六白金星 T11 S06 S15 S24 S33 S42 S51 S60 H06 H15
七赤金星 T10 S05 S14 S23 S32 S41 S50 S59 H05 H14
八白土星 T09 S04 S13 S22 S31 S40 S49 S58 H04 H13
九紫火星 T08 S03 S12 S21 S30 S39 S48 S57 H03 H12

年の九星には計算法が存在します。
西暦年数を9で割った余りを11から引くという計算法です(余りが0なら、余りを9と置き換えます。余りが1なら、余りを10と置き換えます)。たとえば2007年は9で割ると割り切れるので、11−9=2となり二黒土星ということになります。
西暦の各位の数を足し、その計算結果の数をさらに各位の数を足し、これを繰り返して1桁になるまで行い、最後に11から引くという計算法もあります。数学的には上記の方法と同値なのですが、こちらの方が計算が簡単です(計算結果が1になったら10と置き換えて11−10=1で、一白水星)。たとえば、1997年は1+9+9+7=26、2+6=8となるので、11−8=3、ゆえに三碧木星です。
これらの計算法は紀元後であればすべての年でその年の九星を求められる計算法です。


月の九星
月の九星も陰遁します。但し、月の九星で使う月は節月です。例えば、立春から啓蟄の前日までが1月、啓蟄から清明の前日までが2月となります。9と12の最小公倍数は36なので、月の九星は3年周期ということになります。

月と九星の対応
▼年の干支▼ 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1月
子・卯・午・酉 八白 七赤 六白 五黄 四緑 三碧 二黒 一白 九紫 八白 七赤 六白
丑・辰・未・戌 五黄 四緑 三碧 二黒 一白 九紫 八白 七赤 六白 五黄 四緑 三碧
寅・巳・申・亥 二黒 一白 九紫 八白 七赤 六白 五黄 四緑 三碧 二黒 一白 九紫


日の九星
日の九星は、冬から夏にかけては数字を増やしていく陽遁となり、夏から冬にかけては数字を減らしていく陰遁となります。流派によって切り替えの日は異なりますが、最も一般的なものでは、以下のようにしています。

冬至に最も近い甲子の日を一白として陽遁を始めます。
夏至に最も近い甲子の日を九紫として陰遁を始めます。
但し、冬至またはその前後1日に甲午がある場合は、その甲午を七赤として陽遁を始めます。また、夏至またはその前後1日に甲午がある場合は、その甲午を三碧として陰遁を始めます。これを「九星の閏」といいます。


時の九星
時の九星も日の九星と同様に陽遁・隠遁の別に配されます。時は2時間を1刻とします。

         右に順次→子刻 丑刻 寅刻 卯刻 辰刻 巳刻 午刻 未刻 申刻 酉刻 戌刻 亥刻
陽遁 子・卯・午・酉の日 一白 二黒 三碧 四緑 五黄 六白 七赤 八白 九紫 一白 二黒 三碧
陽遁 丑・辰・未・戌の日 四緑 五黄 六白 七赤 八白 九紫 一白 二黒 三碧 四緑 五黄 六白
陽遁 寅・巳・申・亥の日 七赤 八白 九紫 一白 二黒 三碧 四緑 五黄 六白 七赤 八白 九紫

陰遁 子・卯・午・酉の日 九紫 八白 七赤 六白 五黄 四緑 三碧 二黒 一白 九紫 八白 七赤
陰遁 丑・辰・未・戌の日 六白 五黄 四緑 三碧 二黒 一白 九紫 八白 七赤 六白 五黄 四緑
陰遁 寅・巳・申・亥の日 三碧 二黒 一白 九紫 八白 七赤 六白 五黄 四緑 三碧 二黒 一白


奇門遁甲における九星
九星は、中国古来の占いである奇門遁甲においては「天蓬星」・「天芮星」・「天冲星」・「天輔星」・「天禽星」・「天心星」・「天柱星」・「天任星」・「天英星」を指し、「一白水星」、「二黒土星」、…「九紫火星」が九宮と呼ばれています。

【九星気学】

九星気学

九星・気学(きゅうせい・きがく)とは、生れた年月日の九星と五行を組合わせた占術です。方位の吉凶や運命全般を知るために使われます。九星術を元に気学としてまとめたもので、それ以前の九星術と合わせて九星・気学と総称されます。生年月日によって定まる九星と十二支と、方位の吉凶を知りたい日の九星と十二支を元に占います。九星と十二支は年・月・日・時のそれぞれにありますが、このうち年と月が運勢に大きく関係します。また、生年によって定まる九星を本命星、生まれ月によって定まる九星を月命星といいいます。

九星はある決まった法則で各方位を巡回することになっており、生年月日によって定まる九星と十二支との関係で吉凶を占います。

九星
九星とは以下をいいます。

一白水星
二黒土星
三碧木星
四緑木星
五黄土星
六白金星
七赤金星
八白土星
九紫火星
ただし中国占術において「九星」と総称されるものは多岐にわたっており、他の九星と区別する必要がある場合は紫白九星とよびます。九星術の古形では三つの白の星である、一白、六白、八白を大吉とし、九紫を中吉としたことにちなんでいます。

なお五黄は大凶の星であり、五黄と相対する方位も凶となります。

九星の循環
日時の九星の九星の循環には幾つかの異説がありますが、年月の九星についてはその循環のさせ方がほぼ固まっています。年については180年を一つの周期としています。180年の最初の干支は甲子で、干支の周期である60年を一つのくくりとして、上元、中元、下元に分けられています。最も近い上元は1864年から始まっており、2007年は下元であり、二黒の年です。上元の甲子年を一白として、九紫、八白と星についている数字が減るように循環させて行きます。この数が減る循環のさせ方を陰遁とよびます。

月の九星の循環のさせ方は、年でいう上元甲子年の九星術における正月である丙寅月を八白として陰遁させます。1年は12ヶ月であり、12と9の最小公倍数が36ですので、月の九星の循環は3年を一つの周期とします。


方位との関係
四緑が中宮の場合(2005年)
三 八 一
二 四 六
七 九 五
対象とする日の定位盤(年盤、月盤、日盤)を各方位に対応させ、本命星の相性により吉凶を判断しますが、特に六大凶方とされる凶方位があります。小児殺を含めて七大凶方ともいいます。なお暗剣殺、五黄殺、歳破、月破は全ての人に凶方位となります。

(上の一例は四緑が中宮の場合で暗剣殺は東南(三)、五黄殺は北西(五)である。なお盤は南が上)

暗剣殺(あんけんさつ)
 その年の五黄土星のある方位の反対側の方位。(五黄土星の年(五黄土星が中央にあるとき)には存在しない。)
五黄殺(ごおうさつ)
 その年の五黄土星のある方位。
本命殺(ほんめいさつ)
 その年にその人の本命星のある方位。(その年がその人の本命星のとき(本命星が中央にあるとき)には存在しない。)
本命的殺(ほんめいてきさつ)
 その年にその人の本命星のある方位の反対側の方位。
歳破(さいは)
 その年の十二支の反対側の方位。
月破(げっぱ)
 その月の十二支の反対側の方位。
小児殺(しょうにさつ)
 小月建ともいい、子供の健康に影響のあるとされる方位。

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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体

陰陽道

陰陽道

陰陽道(おんみょうどう)は、古代の中国で生まれた自然哲学思想、陰陽五行説を起源として日本で独自の発展を遂げた自然科学と呪術の体系です。「いんようどう」とも読みます。陰陽道に携わる者を陰陽師といい、陰陽師集団のことも陰陽道と呼びます。

かつては専門の研究者によっても、陰陽家の思想が日本に伝わったものが陰陽道である、と説明されてきました。しかし、近年では、陰陽五行説が、自然界の万物は陰と陽の二気から生ずるとする陰陽思想と、万物は木・火・土・金・水の五行からなるとする五行思想を組み合わせ、自然界の陰陽と五行の変化を観察して瑞祥・災厄を判断し、人間界の吉凶を占う実用的技術として日本で受容され、神道、道教、仏教などからも様々な影響を受け取って日本特異の発展を遂げた結果誕生したものと考えられています。


歴史
5世紀から6世紀頃、陰陽五行説が仏教や儒教とともに日本に伝わったとき、陰陽五行説と密接な関係をもつ天文、暦数、時刻、易といった自然の観察に関わる学問、占術とあわさって、自然界の瑞祥・災厄を判断し、人間界の吉凶を占う技術として日本社会に受け入れられました。このような技術は、当初はおもに漢文の読み書きに通じた渡来人の僧侶によって担われていましたが、やがて朝廷に奉仕する必要から俗人が行うことが必要となり、7世紀後半頃から陰陽師があらわれ始めました。

7世紀後半から8世紀はじめに律令制がひかれると、陰陽の技術は中務省の下に設置された陰陽寮へと組織化されました。陰陽寮は配下に陰陽道、天文道、暦道を置き、それぞれに吉凶の判断、天文の観察、暦の作成の管理を行わせました。また、令では僧侶が天文や災異瑞祥を説くことを禁じ、陰陽師の国家管理への独占がはかられました。

平安時代以降は、律令制の弛緩と藤原氏の台頭につれて、形式化が進んだ宮廷社会で高まりつつあった怨霊に対する御霊信仰などに対し、陰陽道は占術と呪術をもって災異を回避する方法を示し、天皇や公家の私的生活に影響を与える指針となりました。これにともなって陰陽道は宮廷社会から日本社会全体へと広がりつつ一般化し、法師陰陽師などの手を通じて民間へと浸透して、日本独自の展開を強めていきました。

日本の陰陽道は、陰陽道と同時に伝わってきた道教の方術に由来する方違え、物忌、反閇などの呪術や、泰山府君祭などの道教的な神に対する祭礼、さらに土地の吉凶に関する風水説や、医術の一種であった呪禁道なども取り入れ、日本の神道と相互に影響を受けあいながら独自の発展を遂げました。8世紀末からは密教の呪法や密教とともに新しく伝わった占星術(宿曜道)や占術の影響を受けました。

10世紀には陰陽道・天文道・暦道いずれも究めた賀茂忠行・賀茂保憲父子が現れ、その弟子から陰陽道の占術に卓越した才能を示し、宮廷社会から非常に信頼を受けた安倍晴明が出ました。忠行・保憲は晴明に天文道、保憲の子光栄に暦道を伝え、平安末期から中世の陰陽道は天文道・暦道を完全に取り込むとともに、天文道の安倍氏と暦道の賀茂氏が二大宗家として独占的に支配するようになりました。

平安時代末期以降、安倍氏から陰陽道の達人が立て続けに輩出され、下級貴族だった安倍氏は公卿に列することのできる家柄へと昇格していきました。中世には安倍氏が陰陽寮の長官である陰陽頭を世襲し、賀茂氏は次官の陰陽助としてその下風に立ちました。戦国時代には、賀茂氏の本家であった勘解由小路家が断絶、暦道の支配権も安倍氏に移りましたが、安倍氏の宗家土御門家も戦乱の続くなか衰退していきました。一方、民間では室町時代頃から陰陽道の浸透がより進展し、占い師、祈祷師として民間陰陽師が活躍しました。

幕藩体制が確立すると、江戸幕府は陰陽師の活動を統制するため、土御門家と賀茂氏の分家幸徳井家を再興させて諸国陰陽師を支配させようとしました。やがて土御門家が幸徳井家を圧し、17世紀末に土御門家は民間の陰陽師に免状を与える権利を獲得して全国の陰陽道の支配権を確立しました。江戸時代には、陰陽道はもはや政治に影響を及ぼすことはなくなりましたが、民間で暦や方角の吉凶を占う民間信仰として広く日本社会へと定着していきました。

明治維新後の1872年(明治5年)に至り、新政府は陰陽道を廃止させ、現代には土御門家の開いた天社土御門神道と、高知県物部村(現 香美市)に伝わるいざなぎ流を除けば、暦などに名残をとどめるのみですが、神道や新宗教などに取り入れられた陰陽道の影響は宗教として存続し続けています。

先祖供養のお話し

先祖供養のお話し

道徳は地に落ち、人の心は乱れに乱れて、悪人が充満する地獄のような世相を呈している昨今、多くの人々は、霊界の存在と現実の世界との関係を知りません。

おそらく、人が死んだら全てがそこで終わり、自分の悪業も人間の肉体と共に、消えて無くなってしまうと思っているのでしょう。

だから、集団で人をいじめたり、お年よりの年金を盗んだり、小さなお子さんを虐待したり、残虐な事件を起こしたり、人を騙して利益を得たりしても何とも思わないのです。

悪業を犯しても自分の死と共に犯した罪も消え去って、後に何も残らないということはありません。

大宇宙の真理とはそんなに悪人に甘いものではありません。原因があれば結果を生ずる。これは天地一切の真理です。

悪業を犯しながら、いまだに悪い結果は起きていないと安心することは出来ません。必ず悪業の報いは現れます。それは現世に現れなければ、霊界ではもっと苦しい目に遭わされること必定です。

何人たりとも、死後の霊魂は、地獄のような苦しみを受けながら霊魂の浄化を強いられる世界を通ります。

もちろん、悪業の罪が重ければ重いほど、相当長期に渡って多種多様の苦しみを受け続けなければなりません。

この長い過程の中で、霊魂が拷問のような苦しみに耐えかねて、叫び声をあげたり、呻き声をあげたり、喘ぎ苦しみながら、縋る思いで子孫や親類縁者の名を呼ぶのです。

そうすると、苦痛で助けを求めている霊魂の叫びをこの世で受けた人には、苦しむ霊魂の状態が、自分の体の不調として具現化してきます。

霊魂に頼られている人に現れた体の不調や病気は、対症療法の医学では治らないはずです。

これを治すには、頼られた人が、自らの手で、霊界に於ける霊魂の苦しみを取り除いてあげる他に道はありません。

ここで、『自らの手で、』というのは、何処かの誰かに供養を頼んで、お金で簡単に済ませてしまうというほど、安直なものではありません。

しかし先祖や自分の家系の親類縁者の霊魂を救う道を講じ、これを救ってあげることができたならば、霊界の霊魂の影響を受けるべき、子孫や縁者には絶大な喜びが訪れることになります。

仏教

仏教

仏教(ぶっきょう)は、ゴータマ・シッダッタ(釈迦如来)を開祖とする宗教です。信仰のある国の数を基準にした場合、キリスト教・イスラム教と並んで世界三大宗教のひとつになります。仏教とは一般に、仏陀(ブッダ)の説いた教え、仏(仏陀、覚者、真理に目覚めた人、如来)の宗教、また、仏に成るための教えであるとされています。なお、近世では広く釈迦を開祖とする宗教のことを仏教と指すようになりました。

宗派
おおよそ次の2つに大別されます。

上座部仏教(小乗仏教)
大乗仏教
※上座部仏教は、以前は大乗仏教側から「自己の救いのみを目的とする」として蔑まれて小乗仏教と貶称されていました。


分布

言語圏
伝統的に仏教を信仰してきた諸国、諸民族は、経典の使用言語によって、サンスクリット語圏、パーリ語圏、漢訳圏、チベット語圏の四つに大別されます。パーリ語圏のみが上座部仏教で、のこる各地域は大乗仏教です。

サンスクリット語圏
ネパール、インド(ベンガル仏教、新仏教等)
パーリ語圏
タイ、ビルマ、スリランカ、カンボジア、ラオス等。
漢訳圏
中国、台湾、韓国、日本、ベトナム等。
チベット語圏
チベット民族(チベット、ブータン、ネパール、インド等の諸国の沿ヒマラヤ地方に分布)、モンゴル民族(モンゴル国、中国内蒙古ほか、ロシア連邦のブリヤート共和国、カルムイク共和国)、満州民族、トルコ系のトゥヴァ民族(ロシア連邦加盟国)等。

信徒数

各大陸の仏教徒数
アジア - 4億人
南北アメリカ - 360万人
ヨーロッパ - 180万人
オセアニア - 40万人
アフリカ - 8万人
このように、世界宗教とはいえ、アジア(特に東アジア・東南アジア)に片寄って分布しています。

仏教徒が1千万人以上いる国
中国 - 1億人
日本 - 9千万人
タイ - 6千万人
ベトナム - 4千万人
ミャンマー - 3800万人
スリランカ - 1400万人
カンボジア - 1200万人
韓国 - 1100万人


教義
仏教の教えの基本は、三法印(3つの根本思想)です。(三法印に一切皆苦を付加し、四法印とする経典もあります)

諸行無常 - 一切の形成されたものは無常であり、縁起による存在としてのみある
諸法無我 - 一切の存在には形成されたものでないもの、アートマンのような実体はない
涅槃寂静 - 苦を生んでいた煩悩の炎が消え去り、一切の苦から解放された境地が目標である
一切皆苦 - 一切の形成されたものは、苦しみである
釈迦の悟りの内容は、四諦と縁起及び無我です。以下にその関係を整理された十二支縁起を示します。

無明(無知)
行(潜在的形成力)
識(識別作用)
名色(心身)
六入(六感覚器官)
触(接触)
受(感受作用)
愛(渇愛)
取(執着)
有(存在)
生(出生)
老死(老いと死)
これは、なぜ最大の苦である「老死」の不安の下で生きているのかの由来を示すと同時に、「無明」の状態を覚醒する事により、「老死」が克服されるという根拠も示しています。

このように仏教では、救いは超越的存在(例えば神)の力によるものではなく、個々人の実践によるものと説いています。すなわち、釈迦の実体験を最大の根拠に、現実世界で達成・確認できる形で教えが示され、それを実践することを勧めています。

なお、仏教での神は、六道を輪廻する一切衆生の一部をなし、輪廻という苦の中にある点では、他の衆生と同様、特別な存在ではありません。悟りを得たとされている釈迦も仏教の開祖ではありますが一人の人間であり、既述の通り、セム・ハム系(特にセム系)の唯一神のような全能な人格・超越者ではなく、釈迦自身も、神を自称することはありませんでしたし、神について教えてもいません。

その教えから根底にニヒリズムがあるように思われがちですが、煩悩を滅することによりこの世の現実の姿(実相)を感得しようとするもので、自己否定をするものではなく一切を肯定しようとする面が強いのです。


上座部仏教

上座部仏教の目的は、個人が自ら真理(法)に目覚めて「悟り」を得ることです。最終的には「自分として執着している自我(アートマン)は実体ではない(無我)」と覚り、苦の束縛から解放されること(=解脱)を求めることです。一般にこの境地を涅槃と呼びます。

上座部仏教では、釈迦を仏陀と尊崇し、その教え(法)を理解し、禅定などの実践修行によってさとりを得、煩悩をのぞき、輪廻の苦から解脱して涅槃の境地に入ることを目標とします。


大乗仏教

大乗仏教では、悟りを得ることはこの世の全てのもの(無常なもの)は空であること(色即是空)を知る手段に過ぎないとし、空を五感で体得することを最終的な目標とします。空は十二支縁起に説明される煩悩と潜在力(業)を捨て去ることで得られるといいます。

さらには自身の涅槃を追求するにとどまらず、苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)への救済に対する誓いを立てること(=誓願)が主張されますが、特にこの「利他行」の強調が大乗仏教を上座部仏教と区別する指標として重要視されます。

さらに、道元のいう「自未得度先度佗(じみとくどせんどた)」(『正法眼蔵』)など、自身はすでに涅槃の境地へ入る段階に達していながら仏にならず、苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)への慈悲から輪廻の中に留まり、衆生への救済に取り組む面も強調・奨励されます。

般若経は大乗仏教の根幹をなす教典です。ただ、日本や朝鮮といった大陸、中国を経由した仏教は色濃く道教などの影響を受けており、純粋な大乗仏教に最も近いのはインドに近かったチベットのものです。また、日本の仏教は神道との習合も見られます。


歴史

紀元前5世紀頃に釈迦が現在のインド北部ガンジス川中流域で提唱しました。(初期仏教)

釈迦が死亡(仏滅)して後、出家者集団(僧伽、サンガ)は個人個人が聞いた釈迦の言葉(仏典)を集める作業(結集)を行いました。仏典は、この時には口誦によって伝承され、後に文字化されます。

仏滅後100年ごろ、僧伽は教義の解釈によって上座部と大衆部の二つに大きく分裂します(根本分裂)。時代とともに、この二派はさらに多くの部派に分裂します。この時代の仏教を部派仏教と呼びます。

部派仏教の上座部の一部は、スリランカに伝わり、さらに、タイなど東南アジアに伝わり、現在も広く残っています(南伝仏教)。

紀元前後、在家者と釈迦の墓(仏塔、ストゥーパ)の守護者たちの間から、出家することなく在家のままでも仏となる教え(大乗仏教)が起こります。この考え方は急速に広まり、アフガニスタンから中央アジアを経由して、中国・韓国・日本に伝わっています(北伝仏教)。

7世紀ごろベンガル地方で、ヒンドゥー教の神秘主義の一潮流であるタントラ教と深い関係を持った密教が盛んになりました。この密教は、様々な土地の習俗や宗教を包含しながら、それらを仏を中心とした世界観の中に統一し、すべてを高度に象徴化して独自の修行体系を完成し、秘密の儀式によって究竟の境地に達することができ仏となること(即身成仏)ができるとします。密教は、インドからチベット・ブータンへ、さらに中国・韓国・日本にも伝わって、土地の習俗を包含しながら、それぞれの変容を繰り返しています。

8世紀よりチベットは僧伽の設立や仏典の翻訳を国家事業として大々的に推進、同時期にインドに存在していた仏教の諸潮流を、数十年の短期間で一挙に導入しました(チベット仏教)。その後チベット人僧侶の布教によって、チベット仏教はモンゴルや南シベリアにまで拡大していきました。

仏教の教えは、インドにおいては上記のごとく段階を踏んで発展しましたが、近隣諸国においては、それらの全体をまとめて仏説として受け取ることとなりました。中国および中国経由で仏教を導入した諸国においては、教相判釈により仏の極意の所在を特定の教典に求めて所依としたり、特定の行(禅、密教など)のみを実践するという方向が指向されたのに対し、チベット仏教では初期仏教から密教にいたる様々な教えを一つの体系のもとに統合するという方向が指向されました。


文化

仏像・念仏

ガンダーラ
仏像初期仏教では、具体的に礼拝する対象はシンボル(菩提樹や仏足石、金剛座)で間接的に表現していましたが、ギリシャ・ローマの彫刻の文明の影響もあり、紀元前後にガンダーラ(現在のパキスタン北部)で直接的に人間の形の仏像が製作されるようになりました。これは、一説では釈迦亡き後の追慕の念から念仏が起こり、さまざまな三昧へと発展する過程で、その拠りどころとして発達したと考えられています。現在は如来・菩薩・明神・護法神など、さまざまな礼拝対象があります。一般的な仏教(顕教)では、仏像自体は宗教的シンボルとしてのみ意義があります。しかし後期大乗仏教の大毘盧遮那成仏神変加持経(大日経)では本尊という概念を導入し、自身と一体になる対象として扱われます。

真言門の菩薩行を修する諸菩薩を令て、本尊の形を観縁せしむるが故に、即ち本尊の身を以て自身と為す。  説本尊三昧品第二十八

神道

神 道

神道(しんとう)は、日本の民俗的な信仰体系であり、日本固有の宗教です。

概要
日本列島に住む民族の間に自然発生的に生まれ育った伝統的な民俗信仰・自然信仰を基盤とし、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立しました。神道には明確な教義や教典がなく、『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』『宣命』などといった「神典」と称される古典を規範とします。森羅万象に神が宿ると考え、天津神・国津神や祖霊を祀り、祭祀を重視します。浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目とします。他の宗教と比べて、現世主義的であり、性善説的であり、祀られるもの(神)と祀るもの(信奉者)との間は強い連体意識で繋がっています。


分類
神道は(1)皇室神道・(2)神社神道・(3)教派神道(神道十三派)・(4)民間神道に分類できます。今日、単に「神道」といった場合には(2)神社神道を指します。また、何に重きを置くかによって、(a)儀礼を中心とする社人神道と、(b)教学を中心とする学派神道とに分けられます。

(1)皇室神道は、皇居内の宮中三殿を中心とする皇室の、すなわち天皇家の神道です。(2)神社神道は、神社を中心とし、氏子・崇敬者などによる組織によって行われる祭祀儀礼をその中心とする信仰形態です。(3)教派神道は教祖・開祖の宗教的体験に基づく宗教で、他の神道とは少し性質が異なります。(4)民間神道は「民俗神道」とも呼ばれ、日本で古くから民間で行われてきた信仰行事をいいます。

なお、「国家神道」は特に1868年の王政復古の大号令から第二次世界大戦終結までの日本における国家の支援の下に行われた神道を指す名称です。教派神道の「『神道各派』から区別された神ながらの道は、とくに国家神道とも呼ばれますが、法律家や行政実務家は、以前からそれを神社と呼ぶのが例」(宮沢俊義『憲法講話』1967年)であり、戦前には単に「神社」と言えば国家に厳重に管理された「国家神道」そのものを言いいました。GHQが排したのは軍国主義の権化としての「神社」でしたが、現在では政教分離が進んで「神社」の語義が変化しており、「国家神道」を単に「神社」と称することはなくなりました。

また、次のような分類もされます。

祭り型神道
宮中神道…宮中の祭祀
神社神道…通常の神社の祭祀
民間神道…道祖神・田の神・山の神・竈神など
陰陽道系…土御門神道・いざなぎ流など
教え型神道
学派神道
復古神道…平田篤胤ら
理論神道…伊勢神道・唯一神道など
神仏習合系…両部神道・山王一実神道など
神儒一致系…儒家神道・理学神道など
教派神道
山岳信仰系…実行教・御嶽教など
霊示系…黒住教・金光教・天理教など
伝統神道系…出雲大社教・神道修成派など
新思想系…大本・生長の家・白光真宏会・世界真光文明教団・崇教真光・ス光光波世界神団・神道天行居など

由来と教義
「神道」という言葉は、中国の『易経』や『晋書』の中に見えますが、これらは「神(あや)しき道」という意味である。これは日本の神道観念とは性質が異なるものです。

日本における「神道」という言葉の初見は、『日本書紀』の用明天皇の条にある「天皇信佛法尊神道」(天皇、仏法を信じ、神道を尊びたまふ)です。このように外来の宗教である仏教と対になる、日本固有の信仰を指したものでした。『日本書紀』には渡来人執筆説があり、日本固有の信仰に「神道」の語をあてたのは、日本に仏教を伝えた中国の人々であるとする説もあります。表現や観念は『淮南子』などの中国的なものに満ちていますが、その素朴でみずみずしい話素はハイヌウェレ型神話などの世界各地に残る神話との共通性も多くあります。中国では、信仰は4段階に進化すると考えられ、仏教は一番進んだ「聖道」に達していると信じられていました。一番下の段階が「鬼道」で、『魏志倭人伝』の中にもこの語が出てきます。次の段階が「神道」です。すなわち、「神道」という語は、鬼道よりは進んでいますが、まだまだ劣っているという蔑称でした。しかし、日本ではこの「神道」という言葉に独自の解釈が加えられていきました。すなわち、神を信仰する道「神ながらの道」です。

明治20年(1887年)代になると西欧近代的な宗教概念が日本でも輸入され、宗教としての「神道」の語も定着し始めます。明治30年(1897年)代には宗教学が本格的に導入され、学問上でも「神道」の語が確立しました [1]。

元々、神道にはイエス・キリストや釈迦のようなカリスマ的創唱者が存在しませんでした。政権による土着の民俗信仰との支配的な祭政一致が行われた神道が教義を言語で統一的に定着させなかったのは、古代より「神在随 事擧不為國」(神ながら 言挙げせぬ国 柿本人麻呂、『万葉集』第13巻3253番)であったからであるとも言われています。そのため、外来諸教と融合しやすい性格を有することになったとも言います。しかし、神道のような土着の民俗信仰と宗派宗教の併存例は世界各地で見られるものであり、日本が特に珍しい例というわけではありません。実際には仏教公伝の当初から廃仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏の間で抗争もありました。中世には伊勢神道をはじめとして吉田神道などの諸派が反本地垂迹説など複雑な教理の大系をつくりあげてゆきます。近世後期には平田篤胤がキリスト教の最後の審判の観念の影響を受けた幽明審判思想やアメノミナカヌシを創造神とする単一神教的な観念を展開するなど近代に連なる教理の展開を遂げました。近世に大きく発展した儒家神道は次第に大衆に支持基盤を得て尊王攘夷思想を広め、討幕の国民的原理ともなっていきました。近代には神道事務局祭神論争という熾烈な教理闘争もありましたが、結局は政府も神道に共通する教義体系の創造の不可能性と、近代国家が復古神道的な教説によって直接に民衆を統制することの不可能性を認識して大日本帝国憲法でも信教の自由を認めせざるを得なませんでした[2]。もっともそれには、欧米列強に対して日本が近代国家であることを明らかにしなければならないという事情もありました。神社神道では教義を明確に統一できないことに由来する神道の「掴みにくさ」は、同時に言語に強く依存した外来の諸宗教に完全には吸収同化されない、身体感覚を重視した遠い昔からの所作の現われとして現代日本社会にもなお受け継がれています。この結果、仏教や儒教、キリスト教などの受容後も、神道的なものが日本人の精神生活に幅広く残ったのです。これらを俯瞰すると、抱擁的側面は出雲が有し、社会制御的側面を伊勢が受け持ったともいえます。

なお、神道が宗派宗教よりも民俗信仰の性質を強く残していることが、欧米など宗派宗教の存在感が極めて強い地域の住民に「日本人は無神教・無宗教である」と揶揄もしくは批判される原因になっているという指摘もあります。自らを無宗教だと考える日本人も少なくありません。しかしそれは唯一神教のみが宗教であるといった極端な立場を持つ人、あるいは近代の王政復古の大号令以後の天皇を中心とした政治体制下での神道(いわゆる国家神道)や、神道の教理についての知見の無い者に多いからでしょう。神道は唯一神教の持つ不寛容性を補完できる可能性も秘めており、唯一神教の影響下にある文明が捨て去った貴重な知的財産と見る海外研究者も少なくありません。


神道における「神」
神道は多神教ですが、祖霊崇拝性が強いため、古いものほど尊ばれます。1881年の神道事務局祭神論争における明治天皇の裁決によって伊勢派が勝利し、天照大神が最高の神格を得ましたが、敗北した出雲派的なものが未だに強く残っていたり、氏神信仰などの地域性の強いものも多くあります。

気象、地理地形に始まりあらゆる事象に「神」の存在を認めます。いわゆる「八百万の神」です。この点はアイヌの宗教にも共通します。また、生前業績があった人物を、没後神社を建てて神として祀る風習などもあります。

一方で外来の「神」も自らに取り込んでしまうという習性を持っており、ユーラシア大陸由来の原始宗教の「神」は多くが神道でも「神」として祀られています。その中には対立しているはずの「神」同士が神道の中では両立していたりします。また外来の聖者を「神」と扱うことも多くあります。この習性は近世になり、産業革命による信仰の重要度の低下と、情報伝達手段が発達したことによって薄れていきましたが、それでも本来キリスト教の要素である十字架が一般に「聖なる物」として認知されたり、月(特に新月、イスラム教)、六紡星(ユダヤ教)といった要素を「人知を越えた存在の象徴」として捉えるなどといった文化的な形で残っています。


神道の研究
平安時代以前より、出雲において日本神話とのかかわりが議論されていたらしく『出雲風土記』には他所の風土記とは違い、そういった性格を色濃く見ることが出来ます。

鎌倉時代に伊勢神宮の神官による学問的研究がはじまり、徐々に現在の神祇信仰の形を取るに至りました。そして、そうした伊勢派の努力はやっと江戸末期のお伊勢参りの確立によって、知識人よりも祖霊性の強い庶民の一部からも支持を得ることに成功しました。一方で、本居宣長が江戸期には解読不能に陥っていた、『古事記』の解読に成功し、国学の源流を形成していきました。これら神道や国学の目覚めが欧米列強に植民地化されつつあったアジアの中で、日本の自覚を促し、明治維新を成功に導く思想的流れの一角を成しました。神道が形成される過程において、古代は仏教から強く影響を受け、近世では儒教の日本への流入が大きく影響しました。伊勢派の果したことは、それに対抗する神道側の努力であったと考えるべきでしょう。


現代の神道
現代の神道は、延喜式(特に「神名帳」)に見られる古くから大和朝廷(ヤマト王権)が祀ってきた神々を中心に統制され、仏教や地方の神々(元は氏神など)を習合し、全国的な一大ネットワーク及び独特の世界を形成しているように見えます。また、江戸時代の儒教神道や復古神道、明治時代の国家神道の影響を強く受けています。

神道に属する神々を祭神とする社を神社(じんじゃ)と言い、全国の神社の大部分は神社本庁が統括しています。


皇室と神道
現在では政教分離の性質上、皇室と神道があからさまに結びつくことはあまりありませんが、歴史的事実として皇室と神道は密接なかかわりを持っています。多くの日本国民が仏教と神道の習慣と信仰を両立させているのに対し、明治以降の皇室は神道色がかなり強く出ています。また、神道の信仰の対象として天皇(その祖先神を含む)の存在があります。


参拝の方法

簡易な参拝
参拝前に、本来は神の前に向かう前に心身を清める禊が必要です。現代であれば一般参拝では入浴・シャワー等で身体を清潔にしてから参拝する心がけが望ましいです。神社に到着し、鳥居をくぐる際は「軽く一礼(会釈)」するのが望ましいです。この時に服装もきちんと整えます。次に手水を使います、これは重要な事です。神は「穢れ」を嫌います。従って拍手と祝詞を行なう手口を清める必要があります。ひしゃくで水をすくい左手、右手の順で水をかけ清めます。最後に口をすすぎます。この時口が直にひしゃくに触れないよう注意することです。最後にひしゃくを洗います、次の人のための配慮です。 巫女の補助が付く場合には、作法は巫女の指示に従ってください。

参拝の基本的な作法は「二礼二拍手一礼」です。即ち、2回礼をし、2回拍手(かしわで)を打ち、(祝詞を奏上し、)最後にもう一度礼をします。一部の神社では作法が異なっており、例えば、出雲大社や宇佐八幡宮では「四拍手」です。

現在の二礼二拍手一礼に統一されたのは明治期の神仏分離によるもので、以前は各神社によって区々でした。尚、正式な作法としては、

鈴鐘を鳴らす(邪気を払う、儀式の始まりを表す等の説がありますが、「神様が他所を向いているかもしれないので自分に注目させる」と子供向けに説明する神社もあります)
神霊に向かって拝礼(神への挨拶・背筋を伸ばし90度礼する)
賽銭を奉納する(神様への供物)
二礼二拍手一礼(礼はきちんと、拍手は胸の高さで)
とされていますが、二礼二拍手一礼と願を共にし、最後の一礼の際に居住地および氏名の名乗りと願い事を陳べるのが一般的となっています。またお礼を述べたい場合はお礼も。

御神酒を頂ける場合は頂きます。神様にお供えした御神酒を頂く事により、神様の御加護があるとされます。(ただし、その後車を運転する必要がある場合は控えること。何らかの容器に入れておき、帰宅後に頂いても良いです)

注意事項
身内に不幸が有った人は、50日間(仏式の49日)を経過するまで、神社参拝は控える必要があります。死穢の観念からです。
神棚には原則として火を通したものは上げないこと。イザナミが火の神を産んで死んだからです。(ただし、祭神や地域にもよります。穀類は例外の場合が多くあります。)失火者や放火犯もこれに準じて参拝は控えること。
山の神は血穢を忌みません。
神社本庁は、行政機関ではなく宗教法人の一つです。

神社参拝の作法

神社参拝の作法

【手水の作法】

●手 水

1. 右手で柄杓(ひしゃく)を取ります。

2. 水盤の水を汲み上げ、左手にかけて洗います。

3. 柄杓を左手に持ちかえ、水を汲み上げ右手を洗います。

4. 再び柄杓を右手に持ちかえて、左の手のひらに水を受けて溜めます。

5. 口をすすぎます。柄杓に直接口をつけないようにしましょう。静かにすすぎ終わって、水をもう1度左手に流します。

6. 最後に柄杓を立てて、残っている水を流しながら、柄の部分を洗うように心がけ、伏せてもとの位置に戻します。


●巫女さんが手水の奉仕をして下さる時の作法

1. 水を両手に受けて、手を清めます。

2. もう1度水を両手に受けて、口をすすぎます。

3. さらに両手で水を受けて、再び手を清めます。

4. 拭紙(ぬぐいがみ)を貰ってまず口をぬぐい、次に手をふきます。

 
【拝礼の作法】

 拍手は柏の葉のように両手の指を揃えて打ち合わせるので、一般には柏手(かしわで)を打つなどといわれています。神前で打つ拍手も、神さまに誠の心を捧げお蔭をいただいていることに心から感謝して打つものです。
拝(はい)もまた今日では敬礼作法の一つとして行われていますが、普段の生活の中でも、感動や感謝の表現として、無意識のうちに行われています。神社での参拝作法は、二拝二拍手一拝を基本としていますが、神社によっては特殊な拝礼作法を行っているところもあります。

●二拝二拍手一拝

1. まず、神前に進み姿勢をただします。

2. 背中を平らにし、腰を90度に折り、拝をします。この時の拝は2回行います。

3. 胸の高さで両手を合わせ、右指先を少し下にずらします。

4. 肩幅程度に両手を開き、2回打ちます。

5. 指先を揃えます。最後にもう1回拝をします。


【玉串拝礼の作法】

 神社で祈願するときやお祭りを行うときには、神さまに玉串という榊(さかき)の枝を捧げます。
玉串は、みずみずしい榊の枝に木綿(ゆう)、紙垂(しで)といわれる麻や紙を取り付けたものです。
私たちの祖先は遠い昔から、榊に神々を招き、また神前に榊を供えてお祭りを行ってきました。
私たちは、神前に進み、玉串を通して自らの誠の心を捧げるとともに、神さまのお蔭をいただきます。

●玉串拝礼

1. 右手で榊の元(根元)の方を上から、左手で先の方を下から支え、胸の高さに、 やや左高に、少し肘を張って持ちます。

2. 玉串の先を時計回りに90度回します。

3. 左手を下げて元を持ち、祈念をこめます。

4. 右手を離して、玉串をさらに時計回りに回し、玉串の中程を下から支えます。

5. 左手を右手下に添えます。

6. やや進んで、榊の元を神前に向けて案上におきます。やや下がり、二拝二拍手一拝の作法でお参りします。


【直会】

●直 会

 直会は、祭典中の精神の緊張を解いて、普段の生活にかえり、神さまにお供えしたものをいただく大切な行事です。参拝が終わると「お神酒」をいただきますが、神さまにお供えしたお酒を頂戴し、神さまのご加護をうけるものです。(お神酒やおさがりをいただくときには、感謝の気持ちをこめて一拝一拍手をしてからいただきます。)


●おさがり

 私たちが参拝の後、「撤饌(てっせん)」や「撤下品(てっかひん)」としていただくものは、神さまにお供えした「神饌(しんせん、神さまへのお供えもの)」をわけていただくものです。


【不幸があった場合】

 故人を悼み葬祭(そうさい)に専念するために、今日一般には、五十日祭(仏式では四十九日)が終わるまでは、神社の参拝を遠慮します。ただし、その期間は地方によって異なる場合もあります。





毎朝神棚に奏上する神棚拝詞

神棚拝詞

これのかむどこにます かけまくもかしこきあまてらすおおかみ
此れの神床に坐す 掛けまくも畏き天照大神 

うぶすなのおおかみたち もろもろのおおかみたちのおおまえに
産土大神等 諸々の大神等の大前に

かしこみかしこみももうさく
恐み恐みも白さく

おおかみたちのひろきあつきみめぐみを かたじけなみまつり
大神達の広き厚き御恵みを辱み奉り 

たかきとおとき みおしえのまにまに
高き尊き神教のまにまに

なおきただしき まごころもちて まことのみちに たがふことなく
直き正しき真心持ちて 誠の道に違ふことなく

おひもつわざに はげましめたまひ いえかどたかく みすこやかに
負ひ持つ業に励ましめ給ひ 家門高く 身健に 

よのため ひとのために つくさしめたまへと
世の為人の為に尽くさしめ給へと

かしこみかしこみももうす
恐み恐みも白す