闇に捨てられた赤子の怨念が親兄弟に起こす霊障
闇に捨てられた赤子の怨念が親兄弟に起こす霊障
「水子の霊はたたりきれない」「水子の霊障ほどおそろしいものはない」ということを知らない人たちが最近、増えていることに悲しみを覚えます。
心の悩みや様々な原因不明の病気に苦しむ女性の多くの原因が「水子霊」の霊障からきていることがあるのです。
妊娠して流産した人。堕胎した人。死産だった人。また、親や祖父母、先祖に水子がいる人。
そのような人には、ぜひ水子霊についての認識を深め、そして成仏できないでいる水子霊のために、合掌し、成仏を願ってあげていただきたいと思います。
そうすることによって、今まで苛まれてきた、あなたやご家族への霊障が消え、以前にもまして、幸福がおとずれます。
「水子の霊はたたりきれない」「水子の霊障ほどおそろしいものはない」ということを知らない人たちが最近、増えていることに悲しみを覚えます。
心の悩みや様々な原因不明の病気に苦しむ女性の多くの原因が「水子霊」の霊障からきていることがあるのです。
妊娠して流産した人。堕胎した人。死産だった人。また、親や祖父母、先祖に水子がいる人。
そのような人には、ぜひ水子霊についての認識を深め、そして成仏できないでいる水子霊のために、合掌し、成仏を願ってあげていただきたいと思います。
そうすることによって、今まで苛まれてきた、あなたやご家族への霊障が消え、以前にもまして、幸福がおとずれます。
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体
氏族の守護神と、出生から一生を守護する産土神
氏族の守護神と、出生から一生を守護する産土神
●氏神さま・産土さま
氏神さまは、一族が共同でお祀りする神さま(血縁的な神)のことをいいます。氏神様は元来が、その氏族の祖神様(おやがみさま)や、その祖神様が尊信される守護神のことで、祖先にもつながる神様です。厳密には「氏一族の祖先神・守護神」という意味です。ですから藤原氏の場合は、祖先神としてアマノコヤネノミコト、守護神としてタケミカヅチノミコトを氏神とします。それらの神を祀った社が奈良の「春日大社」ですから、藤原氏の系統の一族(近衛家・九条家・西園寺家など)の氏神は春日明神となります。同様に源氏は八幡宮。平氏は厳島神社などで、伏見の稲荷大社は秦氏の氏神です。
本当の氏神さまを祀らなければそのお加護は頂けないうえに、神罰を受けることさえあります。自分の本当の氏神さまをお祀りしたければ、自分がどの氏族(藤原・源・平・橘など)に属しているのか自覚、認識しなければなりません。
産土さまとは本来、私たちが生まれた土地の神さま(地縁的な神)をいい、産土神(うぶすなのかみ)とは、それぞれの人たちが生まれた土地を開かれ、つかさどられている神様のことで、自分たちを育ててくださっておられる神さまです。
鎮守さまとは、一定の土地に住む人々や建物を守護する神さまのことを指し、その土地々々を安鎮守護せられる神のことです。昔、あつい信仰をささげる御神威の高い神様を、お招き申し上げて鎮守さまとしてまつることもありました。
このような神さまに対して、私たちは産子(うぶこ)・氏子(うじこ)と呼ばれます。
●氏神に侘び、氏神さまに命と事業を救われた実例
ある地方都市の中堅企業の社長婦人で、私の母の友人でもあるAさんに実際に起きた氏神さまの御神威をお示しになられた出来事です。
そのAさんとは、私が幼いころから家族ぐるみで親しくお付き合いをさせていただいていました。
Aさんは豪勢なお屋敷に住まい、ご主人の事業も順調に発展しておりましたが、ある時点を境に、急速に運に見放されたかのように、不幸や災難に次々に見舞われるようになり、あげくの果てには、当家にお金を借りにこられるまでになりました。
Aさんの不幸はそれにとどまらず、咽頭に癌が出来て、声を失う手術を受けなければならないことになりました。
これは、ただ事ではないと、察知した私の父が、U八幡宮の御託宣(ごたくせん)をうかがってみますと、
Aさんが、悪意もなく純粋に良かれと思ってしていた行為が、実は色々な問題を引き起こしていることが判明しました。
ひとつは、お屋敷にお祀りしている立派なお社のお稲荷さまでした。お稲荷さまは、お祀りの仕方を一つでも誤ると、とても恐ろしい存在なのです。
もうひとつは、そのころ、Aさんが近くのお地蔵さまへよく出かけては、熱心にお百度参りをしていたことでした。
もう一つは、古来由緒正しきご先祖さまの氏神さまを一度もお祀りせず、近くの有名な神社のお札を氏神さまと思って神棚に祀っていたことでした。
各局は、原因をつかむことができたわけですから、Aさん夫妻は、最後の望みをかけて、方位方角の吉日を選び、1泊2日の時間をとって、氏族の本当の祖神様(おやがみさま)にお詫びと、正式祈願にいかれました。
祈願から戻って、Aさんが病院で検査を受けたところ、跡形もなく、癌が消えており、皆で大喜びしました。
その後は、事業のほうも、大型公共事業の受注など旧に倍して発展しています。
●氏神さま・産土さま
氏神さまは、一族が共同でお祀りする神さま(血縁的な神)のことをいいます。氏神様は元来が、その氏族の祖神様(おやがみさま)や、その祖神様が尊信される守護神のことで、祖先にもつながる神様です。厳密には「氏一族の祖先神・守護神」という意味です。ですから藤原氏の場合は、祖先神としてアマノコヤネノミコト、守護神としてタケミカヅチノミコトを氏神とします。それらの神を祀った社が奈良の「春日大社」ですから、藤原氏の系統の一族(近衛家・九条家・西園寺家など)の氏神は春日明神となります。同様に源氏は八幡宮。平氏は厳島神社などで、伏見の稲荷大社は秦氏の氏神です。
本当の氏神さまを祀らなければそのお加護は頂けないうえに、神罰を受けることさえあります。自分の本当の氏神さまをお祀りしたければ、自分がどの氏族(藤原・源・平・橘など)に属しているのか自覚、認識しなければなりません。
産土さまとは本来、私たちが生まれた土地の神さま(地縁的な神)をいい、産土神(うぶすなのかみ)とは、それぞれの人たちが生まれた土地を開かれ、つかさどられている神様のことで、自分たちを育ててくださっておられる神さまです。
鎮守さまとは、一定の土地に住む人々や建物を守護する神さまのことを指し、その土地々々を安鎮守護せられる神のことです。昔、あつい信仰をささげる御神威の高い神様を、お招き申し上げて鎮守さまとしてまつることもありました。
このような神さまに対して、私たちは産子(うぶこ)・氏子(うじこ)と呼ばれます。
●氏神に侘び、氏神さまに命と事業を救われた実例
ある地方都市の中堅企業の社長婦人で、私の母の友人でもあるAさんに実際に起きた氏神さまの御神威をお示しになられた出来事です。
そのAさんとは、私が幼いころから家族ぐるみで親しくお付き合いをさせていただいていました。
Aさんは豪勢なお屋敷に住まい、ご主人の事業も順調に発展しておりましたが、ある時点を境に、急速に運に見放されたかのように、不幸や災難に次々に見舞われるようになり、あげくの果てには、当家にお金を借りにこられるまでになりました。
Aさんの不幸はそれにとどまらず、咽頭に癌が出来て、声を失う手術を受けなければならないことになりました。
これは、ただ事ではないと、察知した私の父が、U八幡宮の御託宣(ごたくせん)をうかがってみますと、
Aさんが、悪意もなく純粋に良かれと思ってしていた行為が、実は色々な問題を引き起こしていることが判明しました。
ひとつは、お屋敷にお祀りしている立派なお社のお稲荷さまでした。お稲荷さまは、お祀りの仕方を一つでも誤ると、とても恐ろしい存在なのです。
もうひとつは、そのころ、Aさんが近くのお地蔵さまへよく出かけては、熱心にお百度参りをしていたことでした。
もう一つは、古来由緒正しきご先祖さまの氏神さまを一度もお祀りせず、近くの有名な神社のお札を氏神さまと思って神棚に祀っていたことでした。
各局は、原因をつかむことができたわけですから、Aさん夫妻は、最後の望みをかけて、方位方角の吉日を選び、1泊2日の時間をとって、氏族の本当の祖神様(おやがみさま)にお詫びと、正式祈願にいかれました。
祈願から戻って、Aさんが病院で検査を受けたところ、跡形もなく、癌が消えており、皆で大喜びしました。
その後は、事業のほうも、大型公共事業の受注など旧に倍して発展しています。
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不浄のままの先祖霊が子孫に起こす霊障
不浄のままの先祖霊が子孫に起こす霊障
この世に恨みや執着を残す霊も、そうでない霊も、そのままでは成仏し難いのです。
浄化された先祖霊は子孫を守護し、幸福へと導きますが、不浄のまま、供養を受けられない、あるいは供養が少ない先祖霊は、苦しみのあまりに、霊障をひきおこし、愛すべき子孫でありながら、同じような苦しみの境地に落とし入れて来ます。
先祖霊はそうして不都合なかたちをとって、子孫に知らせてくるのですが、その知らせに一向に気づかないでいると、ついにはさらに大きな禍を受けてしまうことになります。
この世に恨みや執着を残す霊も、そうでない霊も、そのままでは成仏し難いのです。
浄化された先祖霊は子孫を守護し、幸福へと導きますが、不浄のまま、供養を受けられない、あるいは供養が少ない先祖霊は、苦しみのあまりに、霊障をひきおこし、愛すべき子孫でありながら、同じような苦しみの境地に落とし入れて来ます。
先祖霊はそうして不都合なかたちをとって、子孫に知らせてくるのですが、その知らせに一向に気づかないでいると、ついにはさらに大きな禍を受けてしまうことになります。
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霊界用語
●死霊強調文強調文
死霊(しりょう、しれい)は、死者の霊魂のことで、人が死ぬと、その霊魂が死体から離れて、人に祟りをなしたり守護者になったりしますが、死霊というと、多くは亡者の霊を指すときに用いられ、怨みを持っている死霊を怨霊といいます。
●生霊
生霊(いきりょう、しょうりょう、せいれい、いきすだま)とは、生きている人間のなかにおける霊のことで、生きている人間が人に対して強い怨みの感情等を持つと怨念が生霊となって相手に害を与えます。また、人が大切に使っている道具や器物、稀に動物などに時を経て宿る霊は、付喪神(つくもがみ)といいます。
生霊は自然石などの波長から誘因されやすいものです。石を身につけたり、そばに置くときは、注意を要します。
●憑依霊
憑依とは、すがりつく、とか乗り移るという意味ですが、いわゆる霊が助けを求めて、とりついたりすることで、憑依された人には、不幸が重なります。
悪霊ではなく、不幸な先祖霊や水子霊がすがりついたりすると、そのままでは絶対に離れません。
憑依するものは一般に死者の霊と解釈されていますが、自然界を司るとされる神様やさまざま多岐にわたり、ときには、生きている人物や悪人、あるいはキツネやネコなどの動物霊から、稲荷や竜神、などの場合もあります。
●悪霊
悪霊 (あくりょう)は、生きている人間に悪さをする、あるいは危害を加える霊です。
主に、人間に悪さをする死者の霊の総称ですが、動物霊(死んだ動物の霊)や、生霊(生きている人間の霊)や、文化人類学においては英語のevil spirit、ドイツ語のböse Geistなどの「悪霊」、すなわち人々にとっての善に対立する悪神や悪魔、魔神も範疇に入ります。
●浮浪霊(ふろうれい)
浮遊霊(ふゆうれい)ともいっています。これは成仏できない霊のことで、人間の死後、肉体内から離れる霊が、自らの死に気づかないことにより、この世(現世)を彷徨い続け、昇天や成仏されない状態で、人にすがったり、住みつく場所を間違えて、他人の家に住みついたりして、大変に困る霊です。
●無縁霊
現代では一般に死者は火葬され、墓に葬られ、子供や兄弟など親類縁者によって供養されますが、不幸にも家が途絶えて、子孫がいなかったり、親類縁者がいても供養が途絶えてしまった人の霊はすべて無縁霊となります。
もちろん菩薩に縁が結べませんら、どん底に落ちてしまいます。
大都市の霊園では代を重ねるに連れ、墓の継承者の消滅などよって無縁霊と化した墓が、約10%を超えるほどあるといわれます。たとえ数代は供養する子孫が続いたとしても、縁者が遠方に移転したり、代が途切れたりすればすべて無縁霊となるのです。
自分のご先祖さまを後々の代まで、絶対に無縁霊にしないように、努めなければなりません。
●因縁霊
因縁霊は、自分の家系にかかわりをもつ因縁霊や、人が生きてきた道で関わりを持った因縁霊がいます。
これらは、良い関わりを持った霊は、関係者に良い導きをし、怨みを持つような関わりを持った霊は悪因縁霊となって、関係者を不幸に突き落とすことが有ります。
●地縛霊
地縛霊(じばくれい)とは、死亡した場所に住みついている霊です。
人が、事故、事件、戦争などで命を失った場合に、その人の霊が、その土地や建物などに縛りついてしまい、自ら移動できず、昇天や成仏もできないという状態の霊です。
多くは、心中霊、発見されない水死者の霊、惨殺されたまま埋められている霊、戦で倒れた武士や戦死者など、そのまま野山にさらされたり、埋もれている霊などです。
それに気づかず、その場所を開発したり、家を建てたりすると、一家に禍を起こしたり、怪奇現象を起こして暴れます。
新興住宅地に引越しして、1〜3年以内に家族が死亡したり、大病を患うご近所さんが、やたらと多いと思ったら、そこには、ほぼ間違く居ると思ってよいでしょう。
死霊(しりょう、しれい)は、死者の霊魂のことで、人が死ぬと、その霊魂が死体から離れて、人に祟りをなしたり守護者になったりしますが、死霊というと、多くは亡者の霊を指すときに用いられ、怨みを持っている死霊を怨霊といいます。
●生霊
生霊(いきりょう、しょうりょう、せいれい、いきすだま)とは、生きている人間のなかにおける霊のことで、生きている人間が人に対して強い怨みの感情等を持つと怨念が生霊となって相手に害を与えます。また、人が大切に使っている道具や器物、稀に動物などに時を経て宿る霊は、付喪神(つくもがみ)といいます。
生霊は自然石などの波長から誘因されやすいものです。石を身につけたり、そばに置くときは、注意を要します。
●憑依霊
憑依とは、すがりつく、とか乗り移るという意味ですが、いわゆる霊が助けを求めて、とりついたりすることで、憑依された人には、不幸が重なります。
悪霊ではなく、不幸な先祖霊や水子霊がすがりついたりすると、そのままでは絶対に離れません。
憑依するものは一般に死者の霊と解釈されていますが、自然界を司るとされる神様やさまざま多岐にわたり、ときには、生きている人物や悪人、あるいはキツネやネコなどの動物霊から、稲荷や竜神、などの場合もあります。
●悪霊
悪霊 (あくりょう)は、生きている人間に悪さをする、あるいは危害を加える霊です。
主に、人間に悪さをする死者の霊の総称ですが、動物霊(死んだ動物の霊)や、生霊(生きている人間の霊)や、文化人類学においては英語のevil spirit、ドイツ語のböse Geistなどの「悪霊」、すなわち人々にとっての善に対立する悪神や悪魔、魔神も範疇に入ります。
●浮浪霊(ふろうれい)
浮遊霊(ふゆうれい)ともいっています。これは成仏できない霊のことで、人間の死後、肉体内から離れる霊が、自らの死に気づかないことにより、この世(現世)を彷徨い続け、昇天や成仏されない状態で、人にすがったり、住みつく場所を間違えて、他人の家に住みついたりして、大変に困る霊です。
●無縁霊
現代では一般に死者は火葬され、墓に葬られ、子供や兄弟など親類縁者によって供養されますが、不幸にも家が途絶えて、子孫がいなかったり、親類縁者がいても供養が途絶えてしまった人の霊はすべて無縁霊となります。
もちろん菩薩に縁が結べませんら、どん底に落ちてしまいます。
大都市の霊園では代を重ねるに連れ、墓の継承者の消滅などよって無縁霊と化した墓が、約10%を超えるほどあるといわれます。たとえ数代は供養する子孫が続いたとしても、縁者が遠方に移転したり、代が途切れたりすればすべて無縁霊となるのです。
自分のご先祖さまを後々の代まで、絶対に無縁霊にしないように、努めなければなりません。
●因縁霊
因縁霊は、自分の家系にかかわりをもつ因縁霊や、人が生きてきた道で関わりを持った因縁霊がいます。
これらは、良い関わりを持った霊は、関係者に良い導きをし、怨みを持つような関わりを持った霊は悪因縁霊となって、関係者を不幸に突き落とすことが有ります。
●地縛霊
地縛霊(じばくれい)とは、死亡した場所に住みついている霊です。
人が、事故、事件、戦争などで命を失った場合に、その人の霊が、その土地や建物などに縛りついてしまい、自ら移動できず、昇天や成仏もできないという状態の霊です。
多くは、心中霊、発見されない水死者の霊、惨殺されたまま埋められている霊、戦で倒れた武士や戦死者など、そのまま野山にさらされたり、埋もれている霊などです。
それに気づかず、その場所を開発したり、家を建てたりすると、一家に禍を起こしたり、怪奇現象を起こして暴れます。
新興住宅地に引越しして、1〜3年以内に家族が死亡したり、大病を患うご近所さんが、やたらと多いと思ったら、そこには、ほぼ間違く居ると思ってよいでしょう。
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ご先祖様の供養が大切な理由
ご先祖様の供養が大切な理由
仏教では「因果、応報」とか「因果、眩まさず」と教えていますが、昔は、両親や祖父母から、悪いことをすれば、自分に悪いことが起きるから、善い行いをして、安泰を得なさいと誰しも言われて育ったものです。
ところが、最近では、国民の生命を脅かす様々な偽装事件や皇国の防衛までも私利私欲の為に食い物にする売国奴が出現するとんでもない社会になっています。
人としての道徳の教育が、なおざりにされた結果、世間に露見しなければ、他人を犠牲にしても、儲けた者の勝ち、という誤った考えが蔓延しています。
実際に、許すべからざる悪業を犯し、世間の非難を浴びながらも、処罰もされずに、ぬくぬくと生きている輩がいるのも事実です。
そんな悪い人間でも、少しも制裁を受けることなく、栄耀栄華を欲しいままに、一生を終わることができるなら、正直者は馬鹿を見ると、発想してしまうのか、人の心は乱れ、道徳は地に落ち、悪人に憧れる者さえ出る地獄のような有様です。
しかし、悪い人間の多くは、死後の世界とこの世の関係を全く知らないのです。
おそらく、死んで花実が咲くものか、死んだら終わり、悪い事をしても、死ぬまでに金持ちになって、美味いものを食べて快楽を貪らなければ、生きた甲斐が無い。と考えているのでしょう。
しかし、神仏の教えを馬鹿にしてはなりません。
この世で、悪業の処罰を受けなかったとしても、死後の世界、さらに来世にその懲罰はかならず与えられます。
死後の霊魂は、罪をを浄化させられるために、多種多様の苦しみの世界へ入ります。
その苦しみの浄化の中にある霊魂はあまりの苦しみに喘いで、叫び声や、呻き声を上げて、助けて欲しいと子孫や親類縁者にすがりついてきます。
すると、すがられた人には、霊魂の苦悩が病気というかたちで現れたりします。
このときの病気は、霊魂が原因のため、現代医学では治りにくい癌や原因不明の難病です。
特に、体に麻痺を伴う病気は、霊魂の苦しみがそのままその人に現われている姿です。
これを治すには、霊魂の苦しみを除去するほかにありません。
霊魂自身は、相当長期間の苦しみを受けることよって償うしかどうにもできません。
そこで、ご先祖様や亡くなられたご家族や縁者の霊魂を急いで助け上げて、成仏の手助けをしてあげる必要があるのです。
ご先祖様や縁者の供養をして成仏の手助けをしてあげるのは、この世に生かされている子孫や縁者の義務でもあります。
それは、必ず、自分自身に良い結果を招くことになり、ご家族の健康や幸福へとつながっていくことなのです。
仏教では「因果、応報」とか「因果、眩まさず」と教えていますが、昔は、両親や祖父母から、悪いことをすれば、自分に悪いことが起きるから、善い行いをして、安泰を得なさいと誰しも言われて育ったものです。
ところが、最近では、国民の生命を脅かす様々な偽装事件や皇国の防衛までも私利私欲の為に食い物にする売国奴が出現するとんでもない社会になっています。
人としての道徳の教育が、なおざりにされた結果、世間に露見しなければ、他人を犠牲にしても、儲けた者の勝ち、という誤った考えが蔓延しています。
実際に、許すべからざる悪業を犯し、世間の非難を浴びながらも、処罰もされずに、ぬくぬくと生きている輩がいるのも事実です。
そんな悪い人間でも、少しも制裁を受けることなく、栄耀栄華を欲しいままに、一生を終わることができるなら、正直者は馬鹿を見ると、発想してしまうのか、人の心は乱れ、道徳は地に落ち、悪人に憧れる者さえ出る地獄のような有様です。
しかし、悪い人間の多くは、死後の世界とこの世の関係を全く知らないのです。
おそらく、死んで花実が咲くものか、死んだら終わり、悪い事をしても、死ぬまでに金持ちになって、美味いものを食べて快楽を貪らなければ、生きた甲斐が無い。と考えているのでしょう。
しかし、神仏の教えを馬鹿にしてはなりません。
この世で、悪業の処罰を受けなかったとしても、死後の世界、さらに来世にその懲罰はかならず与えられます。
死後の霊魂は、罪をを浄化させられるために、多種多様の苦しみの世界へ入ります。
その苦しみの浄化の中にある霊魂はあまりの苦しみに喘いで、叫び声や、呻き声を上げて、助けて欲しいと子孫や親類縁者にすがりついてきます。
すると、すがられた人には、霊魂の苦悩が病気というかたちで現れたりします。
このときの病気は、霊魂が原因のため、現代医学では治りにくい癌や原因不明の難病です。
特に、体に麻痺を伴う病気は、霊魂の苦しみがそのままその人に現われている姿です。
これを治すには、霊魂の苦しみを除去するほかにありません。
霊魂自身は、相当長期間の苦しみを受けることよって償うしかどうにもできません。
そこで、ご先祖様や亡くなられたご家族や縁者の霊魂を急いで助け上げて、成仏の手助けをしてあげる必要があるのです。
ご先祖様や縁者の供養をして成仏の手助けをしてあげるのは、この世に生かされている子孫や縁者の義務でもあります。
それは、必ず、自分自身に良い結果を招くことになり、ご家族の健康や幸福へとつながっていくことなのです。
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ご先祖様を正しくお祀りするために
ご先祖様を正しくお祀りするために
まずは、人の死後の世界を知ることによって、ご先祖様の正しい供養のあり方を考え直してみましょう。
人は神仏によってこの世に産み出されました。
いわば、人は皆、神仏の子であることに気づかなければなりません。
そして、人の死後もその霊魂は永遠不滅、無限の生命をもって今も生き続けているのです。
なぜ、ご先祖様の供養が大切なのか、その意義や実際の方法ついて考えてみましょう。
まずは、人の死後の世界を知ることによって、ご先祖様の正しい供養のあり方を考え直してみましょう。
人は神仏によってこの世に産み出されました。
いわば、人は皆、神仏の子であることに気づかなければなりません。
そして、人の死後もその霊魂は永遠不滅、無限の生命をもって今も生き続けているのです。
なぜ、ご先祖様の供養が大切なのか、その意義や実際の方法ついて考えてみましょう。
観音菩薩の効験
観音菩薩の効験
観音菩薩の効験をきわめて具体的に述べているのが、『観世音菩薩普門品』というお経です。
観音菩薩の威神力についてこう述べてあります。
まず、観世音菩薩の名を一心に称名することにより、火難、水難、風難、刀杖難、枷鎖難、怨賊難という七種類の人間の恐怖の対象となる災いが除かれ、次に淫欲(貪欲)、瞋恚、愚痴の三毒と呼ばれる人間の煩悩の最も大きなものが除かれます。
こういった、七難、三毒を除くことは、『抜苦』と説明される慈悲のうちの『悲』の働きですが、つぎに出されてくるのが、『与楽』と説明される『慈』の働きとしての具体的な例で、福徳智慧の男子や端正有相の女子を授かることになっています。
そして結論として「若し衆生有って、観世音菩薩を恭敬し礼拝せば、福むなしからず。是の故に衆生、皆まさに観世音菩薩の名号を受持すべし」と述べられています。
以上のことから考えても、なぜ観世音菩薩が、慈悲の菩薩として信仰されているのかという理由が明白であり、したがって、現世のさまざまなご利益を与えてくれる信仰対象として、古来、数多くの人々に拝まれてきたわけです。
観音菩薩の効験をきわめて具体的に述べているのが、『観世音菩薩普門品』というお経です。
観音菩薩の威神力についてこう述べてあります。
まず、観世音菩薩の名を一心に称名することにより、火難、水難、風難、刀杖難、枷鎖難、怨賊難という七種類の人間の恐怖の対象となる災いが除かれ、次に淫欲(貪欲)、瞋恚、愚痴の三毒と呼ばれる人間の煩悩の最も大きなものが除かれます。
こういった、七難、三毒を除くことは、『抜苦』と説明される慈悲のうちの『悲』の働きですが、つぎに出されてくるのが、『与楽』と説明される『慈』の働きとしての具体的な例で、福徳智慧の男子や端正有相の女子を授かることになっています。
そして結論として「若し衆生有って、観世音菩薩を恭敬し礼拝せば、福むなしからず。是の故に衆生、皆まさに観世音菩薩の名号を受持すべし」と述べられています。
以上のことから考えても、なぜ観世音菩薩が、慈悲の菩薩として信仰されているのかという理由が明白であり、したがって、現世のさまざまなご利益を与えてくれる信仰対象として、古来、数多くの人々に拝まれてきたわけです。
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観音菩薩
観音菩薩
観音菩薩(かんのんぼさつ 觀音菩薩)は、仏教の菩薩の一つであり、特に日本において古代より広く信仰を集めている尊格です。「観世音菩薩」または「観自在菩薩」ともいいます。「救世菩薩(くせぼさつ・ぐせぼさつ)」など多数の別名があります。
観音菩薩の名称の由来
サンスクリットではアヴァローキテーシュヴァラと言い、「あまねく」「見る、見た」「自在者」という語の合成語で、音韻変化を含んでいるとの説が現在では優勢です。玄奘三蔵による訳「観自在菩薩」はそれを採用していることになります。
その起源については、ゾロアスター教のアフラ・マズダーの娘、アナーヒターやインド神話のラクシュミーとの関連が指摘されています。
鳩摩羅什(くまらじゅう)の旧訳では観世音菩薩と言い、当時の中国大陸での呼称も、観世音菩薩でした。これには、観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五)の趣意を取って意訳したという説があります。また、中央アジアで発見された古いサンスクリット語の『法華経』では、「Avalokitasvara」となっており、これに沿えば「avalokita 観」+「svara 世音」と解され、また古訳では『光世音菩薩』の訳語もあることなどから、異なるテキストだった可能性は否定できません。唐の二代目皇帝李世民の名から避諱により、”世”の文字は使用出来なくなったため、唐時代以後の中国大陸では、以後、観音菩薩と呼ばれるようになり定着しました。
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)以降の新訳では観自在菩薩と訳しています。
観音菩薩の信仰
観音経などに基づいて広く信仰・礼拝の対象となっています。また、般若心経の冒頭に登場する菩薩でもあり、般若の智慧の象徴ともなっています。浄土教では観無量寿経の説くところにより阿弥陀如来の脇侍として勢至菩薩とともに安置されることも多く見られます。日本では飛鳥時代から造像例があり、現世利益と結びつけられて、時代・地域を問わず広く信仰されています。持物として水瓶(すいびょう)を持っておられます。そこには功徳水という、いくら使ってもなくならない水が入っているといわれます。
観音菩薩の性別
観世音菩薩は、「慈母観音」などという言葉から示されるように、俗に女性と見る向きが多いのです。これは、たとえば地蔵菩薩が観音と同じ大悲闡提の一対として見る場合が多く、地蔵が男性の僧侶形の像容であるのに対し、観音は女性的な顔立ちの像容も多いことからそのように見る場合が多いのです。しかし、経典などでは釈迦が観音に向かって「善男子よ」と呼びかけ、また「観音大士」という言葉もあることから、本来は男性であったと考えられているのですが、観音経では「婦女身得度者、即現婦女身而為説法」と、女性には女性に変身して説法するともあるため、次第に性別は無いものとして捉えられるようになりました。また後代に至ると観音を女性と見る傾向が多くなりました。これは中国における観音信仰の一大聖地である普陀落山から東シナ海域や黄海にまで広まったことで、その航海安全を祈念する民俗信仰や道教の媽祖信仰などの女神と結びついたためと考えられています。したがって、観音の性別を法華経の「変成男子(へんじょうなんし)」と関連して論じる向きもありますが、これは関係がないとされています。
六観音
観音像には、基本となる聖観音(しょうかんのん)の他、変化(へんげ)観音と呼ばれるさまざまな形の像があります。阿弥陀如来の脇侍としての観音と異なり、独尊として信仰される観音菩薩は、現世利益的な信仰が強く、そのため、あらゆる人を救い、人々のあらゆる願いをかなえるという観点から、多面多臂の超人間的な姿に表されることが多いようです。
真言系では聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音を六観音と称し、天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音としています。六観音は六道輪廻(ろくどうりんね、あらゆる生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもので、地獄道−聖観音、餓鬼道−千手観音、畜生道−馬頭観音、修羅道−十一面観音、人道−准胝観音、天道−如意輪観音という組み合わせになっています。
なお、千手観音は経典においては千本の手を有し、それぞれの手に一眼をもつとされていますが、実際に千本の手を表現することは造形上困難であるために、唐招提寺金堂像などわずかな例外を除いて、42本の手で「千手」を表わす像が多いようでです。観世音菩薩が千の手を得た謂われとしては、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がありますが、この経の最後に置かれた大悲心陀羅尼は現在でも中国や日本の禅宗寺院で読誦されています。
三十三観音
法華経「観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)には、観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて「仏身」「声聞(しょうもん)身」「梵王身」など、33の姿に変身すると説かれています。西国三十三所観音霊場、三十三間堂などに見られる「33」という数字はここに由来するものです。「三十三観音」とは、この法華経の所説に基づき、近世の日本において信仰されるようになったものであって、法華経の中にこれら33種の観音の名称が登場するわけではありません。
以下に列挙した三十三観音の名称は、天明3年(1783年)に刊行された『仏像図彙』(ぶつぞうずい)という書物に所載のもので、この中には白衣(びゃくえ)観音、多羅尊観音のようにインド起源のものもありますが、中国や日本で独自に発達したものもあり、その起源はさまざまです。白衣観音、楊柳観音のように、禅宗系の仏画や水墨画の好画題としてしばしば描かれるものもありますが、大部分の観音は単独での造像はまれです。
三十三観音の名称
(1)楊柳(ようりゅう)
(2)龍頭(りゅうず)
(3)持経(じきょう)
(4)円光(えんこう)
(5)遊戯(ゆげ)
(6)白衣(びゃくえ)
(7)蓮臥(れんが)
(8)滝見(たきみ)
(9)施薬(せやく)
(10)魚籃(ぎょらん)
(11)徳王(とくおう)
(12)水月(すいげつ)
(13)一葉(いちよう)
(14)青頚(しょうけい)
(15)威徳(いとく)
(16)延命(えんめい)
(17)衆宝(しゅうほう)
(18)岩戸(いわと)
(19)能静(のうじょう)
(20)阿耨(あのく)
(21)阿摩提(あまだい)
(22)葉衣(ようえ)
(23)瑠璃(るり)
(24)多羅尊(たらそん)
(25)蛤蜊(こうり、はまぐり)
(26)六時(ろくじ)
(27)普悲(ふひ)
(28)馬郎婦(めろうふ)
(29)合掌(がっしょう)
(30)一如(いちにょ)
(31)不二(ふに)
(32)持蓮(じれん)
(33)灑水(しゃすい)
観音菩薩を祀る主な寺院
栃木・輪王寺(立木観音堂) ― 千手観音立像(重要文化財)
栃木・大谷寺 ― 千手観音(大谷磨崖仏)(特別史跡、重要文化財)
栃木・寺山観音寺 ― 千手観音及両脇侍像(重要文化財)
東京・浅草寺 ― 聖観音
神奈川・長谷寺 ― 十一面観音
神奈川・大船観音寺 ― 白衣観音
福井・羽賀寺 ― 十一面観音(重要文化財)
滋賀・石山寺 ― 如意輪観音(重要文化財)
滋賀・向源寺(渡岸寺) ― 十一面観音(国宝)
滋賀・櫟野寺 ― 十一面観音(重要文化財)
京都・広隆寺 ― 不空羂索観音(国宝)、千手観音(立像)(国宝)、聖観音(重要文化財)、如意輪観音(重要文化財)、千手観音(坐像)(重要文化財)
京都・清水寺― 千手観音(本堂)、千手観音(奥の院)(重要文化財)
京都・三十三間堂 ― 千手観音(国宝・湛慶作)、千手観音1,001躯(重要文化財)
京都・六波羅蜜寺 ― 十一面観音(国宝)
京都・大報恩寺 ― 六観音(重要文化財)
京都・三千院 ― 救世観音(重要文化財)
京都・観音寺 ― 十一面観音(国宝)
奈良・法隆寺 ― 百済観音(国宝)、夢違観音(国宝)、救世観音(国宝)、九面観音(国宝)
奈良・興福寺 ― 千手観音(国宝)
奈良・薬師寺 ― 聖観音(国宝)
奈良・唐招提寺 ― 千手観音(国宝)
奈良・法華寺 ― 十一面観音(国宝)
奈良・長谷寺 ― 十一面観音(重要文化財)
奈良・室生寺 ― 十一面観音(国宝)
大阪・大聖観音寺(あびこ観音) ― 聖観音
大阪・四天王寺 ― 救世観音
大阪・観心寺 ― 如意輪観音(国宝)
大阪・葛井寺 ― 千手観音(国宝)
大阪・道明寺 ― 十一面観音(国宝)
兵庫・鶴林寺― 聖観音(重要文化財)、十一面観音(重要文化財)
兵庫・神呪寺 ― 如意輪観音(重要文化財)、聖観音(重要文化財)
兵庫・斑鳩寺 ― 如意輪観音(重要文化財)
奈良・東大寺 ― 二月堂・十一面観音、法華堂(三月堂)不空羂索観音(国宝)、金堂・如意輪観音(重要文化財)
奈良・長谷寺 ― 十一面観音(重要文化財)
奈良・大安寺 ― 十一面観音、馬頭観音、楊柳観音、聖観音、不空羂索観音(以上全て重要文化財)
奈良・聖林寺 ― 十一面観音(国宝)
和歌山・道成寺 ― 千手観音(国宝)
和歌山・金剛三昧院 ― 十一面観音(重要文化財)
和歌山・補陀洛山寺 ― 千手観音(重要文化財)
福岡・観世音寺 ― 十一面観音、馬頭観音、聖観音、不空羂索観音(以上重要文化財)
観音菩薩(かんのんぼさつ 觀音菩薩)は、仏教の菩薩の一つであり、特に日本において古代より広く信仰を集めている尊格です。「観世音菩薩」または「観自在菩薩」ともいいます。「救世菩薩(くせぼさつ・ぐせぼさつ)」など多数の別名があります。
観音菩薩の名称の由来
サンスクリットではアヴァローキテーシュヴァラと言い、「あまねく」「見る、見た」「自在者」という語の合成語で、音韻変化を含んでいるとの説が現在では優勢です。玄奘三蔵による訳「観自在菩薩」はそれを採用していることになります。
その起源については、ゾロアスター教のアフラ・マズダーの娘、アナーヒターやインド神話のラクシュミーとの関連が指摘されています。
鳩摩羅什(くまらじゅう)の旧訳では観世音菩薩と言い、当時の中国大陸での呼称も、観世音菩薩でした。これには、観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五)の趣意を取って意訳したという説があります。また、中央アジアで発見された古いサンスクリット語の『法華経』では、「Avalokitasvara」となっており、これに沿えば「avalokita 観」+「svara 世音」と解され、また古訳では『光世音菩薩』の訳語もあることなどから、異なるテキストだった可能性は否定できません。唐の二代目皇帝李世民の名から避諱により、”世”の文字は使用出来なくなったため、唐時代以後の中国大陸では、以後、観音菩薩と呼ばれるようになり定着しました。
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)以降の新訳では観自在菩薩と訳しています。
観音菩薩の信仰
観音経などに基づいて広く信仰・礼拝の対象となっています。また、般若心経の冒頭に登場する菩薩でもあり、般若の智慧の象徴ともなっています。浄土教では観無量寿経の説くところにより阿弥陀如来の脇侍として勢至菩薩とともに安置されることも多く見られます。日本では飛鳥時代から造像例があり、現世利益と結びつけられて、時代・地域を問わず広く信仰されています。持物として水瓶(すいびょう)を持っておられます。そこには功徳水という、いくら使ってもなくならない水が入っているといわれます。
観音菩薩の性別
観世音菩薩は、「慈母観音」などという言葉から示されるように、俗に女性と見る向きが多いのです。これは、たとえば地蔵菩薩が観音と同じ大悲闡提の一対として見る場合が多く、地蔵が男性の僧侶形の像容であるのに対し、観音は女性的な顔立ちの像容も多いことからそのように見る場合が多いのです。しかし、経典などでは釈迦が観音に向かって「善男子よ」と呼びかけ、また「観音大士」という言葉もあることから、本来は男性であったと考えられているのですが、観音経では「婦女身得度者、即現婦女身而為説法」と、女性には女性に変身して説法するともあるため、次第に性別は無いものとして捉えられるようになりました。また後代に至ると観音を女性と見る傾向が多くなりました。これは中国における観音信仰の一大聖地である普陀落山から東シナ海域や黄海にまで広まったことで、その航海安全を祈念する民俗信仰や道教の媽祖信仰などの女神と結びついたためと考えられています。したがって、観音の性別を法華経の「変成男子(へんじょうなんし)」と関連して論じる向きもありますが、これは関係がないとされています。
六観音
観音像には、基本となる聖観音(しょうかんのん)の他、変化(へんげ)観音と呼ばれるさまざまな形の像があります。阿弥陀如来の脇侍としての観音と異なり、独尊として信仰される観音菩薩は、現世利益的な信仰が強く、そのため、あらゆる人を救い、人々のあらゆる願いをかなえるという観点から、多面多臂の超人間的な姿に表されることが多いようです。
真言系では聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音を六観音と称し、天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音としています。六観音は六道輪廻(ろくどうりんね、あらゆる生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもので、地獄道−聖観音、餓鬼道−千手観音、畜生道−馬頭観音、修羅道−十一面観音、人道−准胝観音、天道−如意輪観音という組み合わせになっています。
なお、千手観音は経典においては千本の手を有し、それぞれの手に一眼をもつとされていますが、実際に千本の手を表現することは造形上困難であるために、唐招提寺金堂像などわずかな例外を除いて、42本の手で「千手」を表わす像が多いようでです。観世音菩薩が千の手を得た謂われとしては、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がありますが、この経の最後に置かれた大悲心陀羅尼は現在でも中国や日本の禅宗寺院で読誦されています。
三十三観音
法華経「観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)には、観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて「仏身」「声聞(しょうもん)身」「梵王身」など、33の姿に変身すると説かれています。西国三十三所観音霊場、三十三間堂などに見られる「33」という数字はここに由来するものです。「三十三観音」とは、この法華経の所説に基づき、近世の日本において信仰されるようになったものであって、法華経の中にこれら33種の観音の名称が登場するわけではありません。
以下に列挙した三十三観音の名称は、天明3年(1783年)に刊行された『仏像図彙』(ぶつぞうずい)という書物に所載のもので、この中には白衣(びゃくえ)観音、多羅尊観音のようにインド起源のものもありますが、中国や日本で独自に発達したものもあり、その起源はさまざまです。白衣観音、楊柳観音のように、禅宗系の仏画や水墨画の好画題としてしばしば描かれるものもありますが、大部分の観音は単独での造像はまれです。
三十三観音の名称
(1)楊柳(ようりゅう)
(2)龍頭(りゅうず)
(3)持経(じきょう)
(4)円光(えんこう)
(5)遊戯(ゆげ)
(6)白衣(びゃくえ)
(7)蓮臥(れんが)
(8)滝見(たきみ)
(9)施薬(せやく)
(10)魚籃(ぎょらん)
(11)徳王(とくおう)
(12)水月(すいげつ)
(13)一葉(いちよう)
(14)青頚(しょうけい)
(15)威徳(いとく)
(16)延命(えんめい)
(17)衆宝(しゅうほう)
(18)岩戸(いわと)
(19)能静(のうじょう)
(20)阿耨(あのく)
(21)阿摩提(あまだい)
(22)葉衣(ようえ)
(23)瑠璃(るり)
(24)多羅尊(たらそん)
(25)蛤蜊(こうり、はまぐり)
(26)六時(ろくじ)
(27)普悲(ふひ)
(28)馬郎婦(めろうふ)
(29)合掌(がっしょう)
(30)一如(いちにょ)
(31)不二(ふに)
(32)持蓮(じれん)
(33)灑水(しゃすい)
観音菩薩を祀る主な寺院
栃木・輪王寺(立木観音堂) ― 千手観音立像(重要文化財)
栃木・大谷寺 ― 千手観音(大谷磨崖仏)(特別史跡、重要文化財)
栃木・寺山観音寺 ― 千手観音及両脇侍像(重要文化財)
東京・浅草寺 ― 聖観音
神奈川・長谷寺 ― 十一面観音
神奈川・大船観音寺 ― 白衣観音
福井・羽賀寺 ― 十一面観音(重要文化財)
滋賀・石山寺 ― 如意輪観音(重要文化財)
滋賀・向源寺(渡岸寺) ― 十一面観音(国宝)
滋賀・櫟野寺 ― 十一面観音(重要文化財)
京都・広隆寺 ― 不空羂索観音(国宝)、千手観音(立像)(国宝)、聖観音(重要文化財)、如意輪観音(重要文化財)、千手観音(坐像)(重要文化財)
京都・清水寺― 千手観音(本堂)、千手観音(奥の院)(重要文化財)
京都・三十三間堂 ― 千手観音(国宝・湛慶作)、千手観音1,001躯(重要文化財)
京都・六波羅蜜寺 ― 十一面観音(国宝)
京都・大報恩寺 ― 六観音(重要文化財)
京都・三千院 ― 救世観音(重要文化財)
京都・観音寺 ― 十一面観音(国宝)
奈良・法隆寺 ― 百済観音(国宝)、夢違観音(国宝)、救世観音(国宝)、九面観音(国宝)
奈良・興福寺 ― 千手観音(国宝)
奈良・薬師寺 ― 聖観音(国宝)
奈良・唐招提寺 ― 千手観音(国宝)
奈良・法華寺 ― 十一面観音(国宝)
奈良・長谷寺 ― 十一面観音(重要文化財)
奈良・室生寺 ― 十一面観音(国宝)
大阪・大聖観音寺(あびこ観音) ― 聖観音
大阪・四天王寺 ― 救世観音
大阪・観心寺 ― 如意輪観音(国宝)
大阪・葛井寺 ― 千手観音(国宝)
大阪・道明寺 ― 十一面観音(国宝)
兵庫・鶴林寺― 聖観音(重要文化財)、十一面観音(重要文化財)
兵庫・神呪寺 ― 如意輪観音(重要文化財)、聖観音(重要文化財)
兵庫・斑鳩寺 ― 如意輪観音(重要文化財)
奈良・東大寺 ― 二月堂・十一面観音、法華堂(三月堂)不空羂索観音(国宝)、金堂・如意輪観音(重要文化財)
奈良・長谷寺 ― 十一面観音(重要文化財)
奈良・大安寺 ― 十一面観音、馬頭観音、楊柳観音、聖観音、不空羂索観音(以上全て重要文化財)
奈良・聖林寺 ― 十一面観音(国宝)
和歌山・道成寺 ― 千手観音(国宝)
和歌山・金剛三昧院 ― 十一面観音(重要文化財)
和歌山・補陀洛山寺 ― 千手観音(重要文化財)
福岡・観世音寺 ― 十一面観音、馬頭観音、聖観音、不空羂索観音(以上重要文化財)
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体
日本百観音
日本百観音
百観音巡礼とは
西国三十三所・坂東三十三所・秩父三十四所を総合して、日本を代表する百か所の観音巡礼と称した。
『今昔物語集』巻第十六「仕観音人行竜宮得富語第十五」に、「此ノ男毎月ノ十八日ニ持斉シテ、殊ニ観音ニ仕ケリ。亦、其ノ日百ノ寺ニ詣デヽ、仏ヲ礼シ奉ケリ」と記されており、京都に百観音巡りの思想が、平安時代にはあったことを示している。
秩父巡礼が三十三所から三十四所になるにともない、百観音巡礼を主張したことを起源とする。長野県佐久市鳴滝の岩尾城跡にある大永五年(1525)銘の石碑に、「秩父三十四番 西國三十三番 坂東三十三番」と彫られており、これ以前に日本百観音巡礼が考え出されていたことがわかる。
江戸時代に入ると、下野国や諏訪などに百観音のうつし巡礼が開創されるが、主に東日本の信仰であり、西日本ではほとんど見ることはできない。
西国三十三所観音巡礼
日本における最古の巡礼であり、観音巡礼の元祖となる。
縁起によると、養老二年(718)大和長谷寺の徳道上人が没し、地獄で苦しむ亡者の姿を見た。上人は、閻魔大王から観音巡礼をすれば地獄に堕ちないという誓願を得て、三十三の宝印を受ける。蘇生した上人は巡礼の功徳を説こうとしたが、まだ機が熟しておらず、宝印を中山寺に納めた。その後、永延二年(988)花山法皇は熊野権現の神託によって、河内石川寺の仏眼上人を先達とし、性空上人らととともに巡礼を復興したという。
史実としては、『寺門高僧記』行尊伝の寛治四年(1090)の巡礼記が最初の資料となるが、疑問点が多い。確実な資料は、同じく『寺門高僧記』覚忠伝の巡礼記で、応保元年(1161)に巡礼している。山岳寺院が多く、当初は修験者が修行を目的としたと思われるが、室町時代には在家の巡礼する姿が記録されている。江戸時代になると、庶民も巡礼に参加するようになり、多数の道中記や案内書、詠歌集などが刊行された。
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坂東三十三所観音巡礼
関東一円におよぶ巨大巡礼で、西国巡礼に相対する存在である。
明和八年(1771)沙門亮盛著『三十三所坂東観音霊場記』によると、花山法皇は紀州那智山で修行の後、大和長谷寺に入って二十一日間参籠した。満願の暁に香衣の老僧が現れ、坂東八州に三十三の観音霊場があると告げる。さっそく河内石川寺の仏眼上人を先達として、辨光僧正・良応上人・元密上人・伝光僧都・満願上人・威光上人とともに、正暦元年(990)に巡礼したとされる。
福島県東白川郡棚倉町八槻の都々古別神社に残る十一面観音像に、「沙門成弁修行三十三所観音霊場之間、於八溝観音堂上院……」と記した天福二年(1234)の造像銘が最古の資料である。また、鎌倉を発願とし、安房館山を結願とする巡路から見ても、鎌倉時代に成立していたことは間違いない。館山からは鎌倉までの航路があり、まったく鎌倉本意の巡礼である。鎌倉には京都に対抗する意識があって、西国巡礼も大きな関心事だったと思われ、将軍家を含めた鎌倉武士の意向により、開創されたと推定できる。
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秩父三十四所観音巡礼
縁起によると、文暦元年(1234)に、閻魔大王・倶生神・花山法王・性空上人・春日開山医王上人・白河法王・長谷徳道上人・良忠僧都・通観法印・善光寺如来・妙見大菩薩・蔵王権現・熊野権現の十三権者が、秩父の魔を破って巡礼したのが始まりという。
現存最古の資料は、法性寺蔵「長享二年(1488)秩父観音札所番付」であり、大棚観音が欠けた三十三所で、番付は定林寺から始まる。これは、現在の秩父市中心部にあたる、大宮郷の人々を対象としたものだったことを示している。十五世紀初め、大棚観音が加わることを主張して三十四所となり、その打開策として日本百観音巡礼を提唱し始めた。江戸時代に入って、札所番付を江戸向きにすることにより、我が国を代表する巡礼の一つになる。開創から江戸期までは修験者が中心だったが、その後は禅宗寺院が札所を支配し始めて、現在の形態になっていった。また、江戸時代中期ごろから、総開帳や江戸での出開帳が見られるようになり、現在も午歳総開帳がおこなわれている。
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百観音巡礼とは
西国三十三所・坂東三十三所・秩父三十四所を総合して、日本を代表する百か所の観音巡礼と称した。
『今昔物語集』巻第十六「仕観音人行竜宮得富語第十五」に、「此ノ男毎月ノ十八日ニ持斉シテ、殊ニ観音ニ仕ケリ。亦、其ノ日百ノ寺ニ詣デヽ、仏ヲ礼シ奉ケリ」と記されており、京都に百観音巡りの思想が、平安時代にはあったことを示している。
秩父巡礼が三十三所から三十四所になるにともない、百観音巡礼を主張したことを起源とする。長野県佐久市鳴滝の岩尾城跡にある大永五年(1525)銘の石碑に、「秩父三十四番 西國三十三番 坂東三十三番」と彫られており、これ以前に日本百観音巡礼が考え出されていたことがわかる。
江戸時代に入ると、下野国や諏訪などに百観音のうつし巡礼が開創されるが、主に東日本の信仰であり、西日本ではほとんど見ることはできない。
西国三十三所観音巡礼
日本における最古の巡礼であり、観音巡礼の元祖となる。
縁起によると、養老二年(718)大和長谷寺の徳道上人が没し、地獄で苦しむ亡者の姿を見た。上人は、閻魔大王から観音巡礼をすれば地獄に堕ちないという誓願を得て、三十三の宝印を受ける。蘇生した上人は巡礼の功徳を説こうとしたが、まだ機が熟しておらず、宝印を中山寺に納めた。その後、永延二年(988)花山法皇は熊野権現の神託によって、河内石川寺の仏眼上人を先達とし、性空上人らととともに巡礼を復興したという。
史実としては、『寺門高僧記』行尊伝の寛治四年(1090)の巡礼記が最初の資料となるが、疑問点が多い。確実な資料は、同じく『寺門高僧記』覚忠伝の巡礼記で、応保元年(1161)に巡礼している。山岳寺院が多く、当初は修験者が修行を目的としたと思われるが、室町時代には在家の巡礼する姿が記録されている。江戸時代になると、庶民も巡礼に参加するようになり、多数の道中記や案内書、詠歌集などが刊行された。
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坂東三十三所観音巡礼
関東一円におよぶ巨大巡礼で、西国巡礼に相対する存在である。
明和八年(1771)沙門亮盛著『三十三所坂東観音霊場記』によると、花山法皇は紀州那智山で修行の後、大和長谷寺に入って二十一日間参籠した。満願の暁に香衣の老僧が現れ、坂東八州に三十三の観音霊場があると告げる。さっそく河内石川寺の仏眼上人を先達として、辨光僧正・良応上人・元密上人・伝光僧都・満願上人・威光上人とともに、正暦元年(990)に巡礼したとされる。
福島県東白川郡棚倉町八槻の都々古別神社に残る十一面観音像に、「沙門成弁修行三十三所観音霊場之間、於八溝観音堂上院……」と記した天福二年(1234)の造像銘が最古の資料である。また、鎌倉を発願とし、安房館山を結願とする巡路から見ても、鎌倉時代に成立していたことは間違いない。館山からは鎌倉までの航路があり、まったく鎌倉本意の巡礼である。鎌倉には京都に対抗する意識があって、西国巡礼も大きな関心事だったと思われ、将軍家を含めた鎌倉武士の意向により、開創されたと推定できる。
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秩父三十四所観音巡礼
縁起によると、文暦元年(1234)に、閻魔大王・倶生神・花山法王・性空上人・春日開山医王上人・白河法王・長谷徳道上人・良忠僧都・通観法印・善光寺如来・妙見大菩薩・蔵王権現・熊野権現の十三権者が、秩父の魔を破って巡礼したのが始まりという。
現存最古の資料は、法性寺蔵「長享二年(1488)秩父観音札所番付」であり、大棚観音が欠けた三十三所で、番付は定林寺から始まる。これは、現在の秩父市中心部にあたる、大宮郷の人々を対象としたものだったことを示している。十五世紀初め、大棚観音が加わることを主張して三十四所となり、その打開策として日本百観音巡礼を提唱し始めた。江戸時代に入って、札所番付を江戸向きにすることにより、我が国を代表する巡礼の一つになる。開創から江戸期までは修験者が中心だったが、その後は禅宗寺院が札所を支配し始めて、現在の形態になっていった。また、江戸時代中期ごろから、総開帳や江戸での出開帳が見られるようになり、現在も午歳総開帳がおこなわれている。
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観音霊験記「わらしべ長者物語」
観音霊験記「わらしべ長者物語」
今は昔、初瀬(はつせ)の里に、身寄りもなく貧しい一人の若者がいた。
若者は観音さまに毎日参詣して、貧しさを嘆き、幸せにしてもらえぬうちは御前を一歩も動かぬと、一心に祈願した。
そして祈願を重ねること数年がたって、ついに観音さまからのお告げがあった。
「お前が、この寺を出たとき、最初に手にしたものが観音の賜り物と思って、すててはならぬぞ」というのである。
若者は、さっそく寺にいとま乞いをし、寺の山門を出たとたん、石にけつまずいて転んでしまった。起きあがって気がつくと、手に一本の藁(わら)しべを握っていた。
「なんだ、これが観音さまからの授かりものか」と思ったが、夢のお告げを信じて、大切に持ち帰ることにした。
そのまま歩いているとアブがうるさくつきまとう。持っていた藁でアブの胴を縛り、もう片方を棒切れに結わえると、アブは慌てて棒の周りを飛びまわる。
そこに上品な身なりの婦人が牛車に乗って道の向こうからやって来る。その一行のなかにいた子供がそれを珍しがったので、「これは観音さまの賜り物ですが、それほど欲しいのであれば差し上げましょう」と言って渡した。するとそのお礼にと、大きなみかんを三つもらった。
一本の藁しべがみかんに変わったと喜んで歩いていると、身分ありそうな人が、あまりの疲労に路上で苦しんでいる。若者が慌てて先ほどのみかんを与えると、たちどころに喉の渇きが癒え、元気が回復した。するとまたその礼にと、若者に上等の布三反を差し出した。
藁しべが布三反になったとさらに喜んでいると、今度は向こうから立派な馬に乗った人がやって来る。立派な馬に感心して見ていると、馬は急に倒れ込み、みるみる弱って息絶えてしまった。主人は仕方なくほかの駄馬に乗り換えて、後始末を供の者に任せてその場を立ち去った。そこで若者は、供の者に布一反を渡して死んだ馬をもらい受けた。
若者は直ちに手を洗い、口を漱(すす)いで身を清め、観音に向って「もし観音さまにお助けいただけるのなら、どうかこの馬を生き返らせてやってください」。そう一心に祈ると願いが通じてか、馬は息を吹き返した。そこで布一反でくらを買い、残り一反を馬草と自分の食料に換えて、京に上ることにした。
九条のあたりにさしかかると、忙しく旅支度をする家が目についた。旅に馬は役に立つ。ここで馬を買い取ってもらおうと持ちかけると、話しはトントン拍子に運んで、その家の南の田地一町と米少々とに取り換えることができた。
その後の若者は、田は人に任せ、収穫の半分を受け取り、年々財産も増え、一生を幸せに暮らしたという。
今は昔、初瀬(はつせ)の里に、身寄りもなく貧しい一人の若者がいた。
若者は観音さまに毎日参詣して、貧しさを嘆き、幸せにしてもらえぬうちは御前を一歩も動かぬと、一心に祈願した。
そして祈願を重ねること数年がたって、ついに観音さまからのお告げがあった。
「お前が、この寺を出たとき、最初に手にしたものが観音の賜り物と思って、すててはならぬぞ」というのである。
若者は、さっそく寺にいとま乞いをし、寺の山門を出たとたん、石にけつまずいて転んでしまった。起きあがって気がつくと、手に一本の藁(わら)しべを握っていた。
「なんだ、これが観音さまからの授かりものか」と思ったが、夢のお告げを信じて、大切に持ち帰ることにした。
そのまま歩いているとアブがうるさくつきまとう。持っていた藁でアブの胴を縛り、もう片方を棒切れに結わえると、アブは慌てて棒の周りを飛びまわる。
そこに上品な身なりの婦人が牛車に乗って道の向こうからやって来る。その一行のなかにいた子供がそれを珍しがったので、「これは観音さまの賜り物ですが、それほど欲しいのであれば差し上げましょう」と言って渡した。するとそのお礼にと、大きなみかんを三つもらった。
一本の藁しべがみかんに変わったと喜んで歩いていると、身分ありそうな人が、あまりの疲労に路上で苦しんでいる。若者が慌てて先ほどのみかんを与えると、たちどころに喉の渇きが癒え、元気が回復した。するとまたその礼にと、若者に上等の布三反を差し出した。
藁しべが布三反になったとさらに喜んでいると、今度は向こうから立派な馬に乗った人がやって来る。立派な馬に感心して見ていると、馬は急に倒れ込み、みるみる弱って息絶えてしまった。主人は仕方なくほかの駄馬に乗り換えて、後始末を供の者に任せてその場を立ち去った。そこで若者は、供の者に布一反を渡して死んだ馬をもらい受けた。
若者は直ちに手を洗い、口を漱(すす)いで身を清め、観音に向って「もし観音さまにお助けいただけるのなら、どうかこの馬を生き返らせてやってください」。そう一心に祈ると願いが通じてか、馬は息を吹き返した。そこで布一反でくらを買い、残り一反を馬草と自分の食料に換えて、京に上ることにした。
九条のあたりにさしかかると、忙しく旅支度をする家が目についた。旅に馬は役に立つ。ここで馬を買い取ってもらおうと持ちかけると、話しはトントン拍子に運んで、その家の南の田地一町と米少々とに取り換えることができた。
その後の若者は、田は人に任せ、収穫の半分を受け取り、年々財産も増え、一生を幸せに暮らしたという。
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体
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